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黒沢清『トウキョウソナタ』

「アカルイミライ」「LOFT」の黒沢清監督が、東京のごく普通の家庭の崩壊と再生を描いたホームドラマ。
小学6年生の次男・健二は父に反対されているピアノをこっそり習っている。しかし父親はリストラされたことを家族に打ち明けられずにおり、兄は米軍に入隊しようとしているなど、やがて家族全員に秘密があることが明らかになっていく……。
第61回カンヌ映画祭では、ある視点部門審査員賞を受賞した。

https://eiga.com/movie/53692/

たとえば、冒頭の、主人公一家の暮らす家のカーテンと、物語のラスト、次男の中学入試のピアノ試験会場のカーテン。
あるいは、画面の左右上部から対角線上に降りてくる二つの道が、画面手前へ伸びる一本の道と画面の真ん中で交差するY字路。
小泉今日子と役所広司が車に乗るシークエンスでのスクリーン・プロセス。

そういった黒沢清らしいギミックから、何か気の利いた批評の一つもひねくり出せるような才能もないので(おそらくは劇中に大量にまぶされている有名映画からの引用も、一つもわかりゃしない)、あっさい感想だけ書き留めておく。

ドラマとしてよく出来ている。

これが、『CURE』とか『蛇の道』『蜘蛛の瞳』なんかの、説明不足が観るものに消化不良を起こさせる作品から黒沢清に触れたものとしては、意外というか。

こんなわかりやすいドラマで良いんでしょうか?と逆に不安になる。

主演の香川照之、小泉今日子は元より、津田寛治やでんでんなども素晴らしく、珍しく“人に勧められる黒沢清作品”という印象。

あまりに綺麗にオチがつくので確認すると脚本には黒沢清とほか2名がクレジットされている。黒沢清一人なら、こんな綺麗なドラマにはならなかったのかもなあ、などと思ったり。

この記事で指摘されている通り、作中、登場人物たちは何度も倒れたり寝たり寝ころばされたりして、その都度、立ち上がったり無理やり立たされたりします。

この上下運動からも何かしら意味や解釈を引き出すことはできるのかもしれませんが、菲才の身としては、ただただ、ゆっくり安らぐことのできない登場人物たちに同情するのみ。

もちろん、そういった、“安らぐことのできない時代・都市で暮らす人間の不幸”といったテーマは容易く思いつくのですが、そんな簡単に分かったようなテーマを見つけ出せる映画を黒沢清が撮るだろうか?

などと深読みしたくもなるんだけれど、役者陣(とりわけ小泉今日子)の熱演で、そういうドラマを撮りたかったのかなあと納得もできる。

最初に書いたように黒沢清らしいギミックは目に付くんだけれど、長回しやロングショットはあまり印象に残らなかった。タブレットで観たからだろうか?そういうところからも、黒沢清らしくない印象が残る。

印象に残ったロングショットは小泉今日子が打ち寄せる波の中に横たわるところくらいかな。波に揺れる光も美しくて。こういう映像観るとさすが黒沢清、と嬉しくなるね。

あと、役所広司の唐突な登場と退場には、黒沢清らしさがあったかな。顔見られちゃった、と慌ててる役所さん可愛いw


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