『夏の終り』瀬戸内晴美

妻子ある不遇な作家との八年に及ぶ愛の生活に疲れ果て、年下の男との激しい愛欲にも満たされぬ女、知子……彼女は泥沼のような生活にあえぎ、女の業に苦悩しながら、一途に独自の愛を生きてゆく。新鮮な感覚と大胆な手法を駆使した、女流文学賞受賞作の「夏の終り」をはじめとする「あふれるもの」「みれん」「花冷え」「雉子」の連作5篇を収録。著者の原点となった私小説集である。

瀬戸内寂聴のことは良く知らないんだけれど、奔放な性愛を生きた人だというイメージ。本作は半ば自伝的なモチーフとあって、自己弁明的な作品なのかなと警戒しつつページを開いた。

ところが読んでみると、極めて冷徹に、愛に溺れる女の意識を相対化していて、十分に普遍的な物語だった。

このあたり、文化解説の竹西寛子が見事に指摘している通り。竹西の解説文は、独り『夏の終り』のみならず、愚かな行為をモチーフにする文學の価値を論じて、見事。

本文もまた、ドロドロとした不倫関係に溺れる女も男も、みんな何処か狂っているのに、浮世離れしたファンタジーにならず、ある種の確かなリアルさがあって、文藝として読ませる。

とは言え、複雑な四角関係、やはり何処か夢のような(悪夢のような)非現実感が漂うが、最後の「雉子」の章で、現実に引きずり下ろす後味の悪さを置いて、うっちゃりをくらったような読後感。

何処まで行っても罪は罪、そのことを真っ直ぐに突きつけて終わるところ、どう受け止めるか。ある意味で興醒めでもあり、ある意味で救いでもあった。作中の人物たちも、僕も、同じように罪人なのだ。罪の意識に怯えて生きる、罪人。

5つの章からなる連作短編、表題作を頭抜けていると評する人が多いようだけれど、僕は「花冷え」が一番強く印象に残った。縺れあった関係を清算することを決めた女の背に降りかかる、花びら。咲いたからには散るしかない恋の宿命を象徴した描写が、好みに合う。

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