美術館「えき」KYOTO『生誕140年 ユトリロ展』 ―あるいは 消え去り行くその先にあるもの―
京都駅伊勢丹の7階にある美術館「えき」KYOTOに初めて訪れました。
ワンフロアの小ぶりの美術館ですが、会場内を九十九折風の通路にして展示壁面を増やす工夫がされていて、そこそこのボリューム感のある展覧会になっていました。
有名なのはやはり「白の時代」の作品で、有名になるだけの実質のある作品が多い。白に拘って絵の具に石膏や砂などいろんな素材を混ぜ合わせて、白の可能性を広げようとした試みがあの独特の白色と、そこから醸し出される情感を生み出しています。
一方で、白の時代の後に「色彩の時代」という時期があり、こちらでは打って変わってカラフルな色彩がカンバスに展開されています。その変わりようには、思わず驚きの声を上げそうになるほどでした。
ユトリロの作品は、線遠近法によって構成された構図が多く、観る者の視点と意識が画面の奥の消失点へと惹き込まれるような感覚になります。
何故執拗にユトリロが遠近法的な構図に執着したのかは知る由もありませんが、作品を見ながら、この、すべてが見えなくなる消失点のその先に、自分自身も消え去りたいという祈りのような願いがあったのかもしれない、そんなふうに感じました。
ユトリロは複雑な家庭環境で育ち、十代半ばからアルコール依存症になってしまう不安定な精神を抱えて生き描いた人でした。
自分自身の存在への不安が、現実を遠近法によって消失点へと吸い込まれてしまえば良い、そして、そのすべての現実が消え去った消失点の向こう側には、こことは違う別の世界が隠れている。そんなふうな思いでユトリロは遠近法による街を描いたのだろうか。
そんなことを思ったりもしました。
とはいえユトリロの描くフランスの街の佇まいは、独特の哀感と叙情を湛えていて、ユトリロが街の風景を愛していたのだろうということも十分に伝わってきます。
苦しみながらも、今生きているこの世界への、否定と肯定のアンビバレンスが、ユトリロの絵を魅力的にしているのかもしれません。
とまれ、ユトリロの作品に導かれて、フランスの街を散策したような気分にもなれるこの展覧会、とても楽しかったです。