亡父の記憶
あまかわ文庫さんで出逢った小山清『風の便り』を読み進めている。
知らない作家だけれど、ややクリームがかった白いカバーの佇まいと、小さな紙に描かれて貼り付けられた挿画の味わいに惹かれて買い求めた一冊。
著者の小山清は太宰治に師事した作家とのこと。この『風の便り』の文章は、落ち着きと柔らかさが感じられる穏やかなものだけれど、Wikipediaによれば前半生はかなり荒くれていたようだ。
太宰門下の作家というと、田中英光のほうが少し名が知れているように思うが、田中の『オリンポスの果実』も、何とも青臭い淡い恋を描いたものだった。太宰の良い読者ではない僕が知らないだけで、そもそも太宰治の本質も、そういうところにあったのかもしれない。
田中英光を知ったのは高校時代、父親の書架で見つけた土屋隆夫『盲目の鴉』でだった。
田中英光を研究する学者が行方不明になるというミステリの冒頭に、作中作的に、その作家が田中英光について書いたエッセイ、という文章が据えられていて、これが頗る名文だった。文芸ミステリという惹句が伊達ではない香気溢れる文体に魅了され、急いで書店に行って、まだ新刊で入手可能だった田中英光の『オリンポスの果実』を買い求めた。
今はKindleで無料で読めるみたい。
太宰のような膨らみのある物語ではなくて、とても淡い色合いの小さな物語に、当時は物足りなさを覚えた記憶があるが、田中英光の名前は土屋隆夫に繋がり、父へと結びついている忘れ難い名前の一つになった。
やはり父が好きで買い揃えていた作家で、その頃人気が高まっていた内田康夫が、何かの作品の後書きに、土屋隆夫のように寡作だか佳作を目指す、と書きつけていたが、その後乱作に乱作を重ねて初期作品の滋味が失われていくのをほぼ同時代に経験したのも懐かしい。
今日は、森村誠一さんの訃報に触れた。森村さんの著作も何冊か父の書架には並んでいて、『悪魔の飽食』はカッパ・ノベルス版があった。
そんなこんなで、亡くなった父のことを思い出すことが多かった1日だった。