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ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』

コック・ロビンを殺したのはたあれ
「わたし」って雀がいった。
「わたしの弓と矢でもって
コック・ロビンを殺したの」
マザー・グースの童謡につれて、その歌詞のとおりに怪奇惨虐をきわめた連続殺人劇が発生する。無邪気な童謡と不気味な殺人という鬼気せまるとり合せ!
友人マーカムとともに事件に介入したヴァ ンスは、独自の心理分析によって歩一歩 と犯人を断崖に追いつめる。「グリーン家殺人事件」とならんでヴァン・ダインの全作品の頂点をなす傑作とされている名編。本書を読まずして推理小説を語ることはできないといっても過言ではない。

創元推理文庫で新訳が出ていますが、中学生の頃に買った古いのを引っ張り出して読み直しました。

いささか古めかしい訳ですが読みにくくはなく、ストーリーの面白さに一気読みでした。

童謡の見立て殺人という、ミステリの定番である形式の嚆矢であり、クリスティ『そして誰もいなくなった』に先んじること10年、まさに時代を切り拓いた傑作。

また名探偵ファイロ・ヴァンスの友人であり物語の語り手には作者と同じS.S.ヴァン・ダインという名前を与えられており、後のエラリー・クイーンによる、作者と同名の名探偵、という趣向の元ネタと思われる。そういった点でも、後のミステリ界に与えた影響の大きさは計り知れない。

作中で活躍する名探偵ファイロ・ヴァンスは、幅広い知識を振りかざす衒学的な振る舞いが特徴とよく聞きますが、今作ではあまりそういったテイストは強くなく(全くないわけではないけれど)、ごく普通の探偵として振る舞っていた印象。

それよりも、作者による遊び心満載の註が面白い。架空の物語の中で、架空の設定を踏まえた註がいくつも付されていて、例えば登場人物の一人の数学者については、後にノーベル賞を獲ったという註がつけられていたりする。美術研究の専門家だった作者による、専門論文形式のパロディとなっている。

一方、シャーロック・ホームズにおけるワトソンと違って、語り手については全くと言って良いほど情報が少ない。ホームズ物における魅力の一つがワトソンのキャラクターに負っているのとは、大きく趣が異なる。

ヴァン・ダインはミステリにおいて作者が守るべきルール“ヴァン・ダインの二十則”というものを提言しており、その中で

不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。

と言っている。

ワトソン的キャラをあまり描写しなかったり物語に介入させなかったのも、そもそも物語に膨らみを持たせるような要素にはあまり興味がなかったのかもしれない。

それが災いしてかどうか、ヴァン・ダインの作品中今も読み継がれているのは数作に過ぎず、エラリー・クイーンやクリスティに比べてあまりに淋しい状況になっている。

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