『パーフェクト・センス』とユアンの映画。
俳優を追ってしまう時もあるが、期せずという時もある。
確かに「トレインスポッティング(1996)」は衝撃的だった。
その後を描く「T2(2017)」があるとは思いもしなかった。
「スター・ウォーズ ep.1(1999)」〜でオビ=ワン・ケノービに抜擢された時は驚く。それからまさかの「シャイニング」続編「ドクター・スリープ(2019)」デニー役、本作のファンであるので当然劇場で鑑賞したのですが、まったくの別モノであった。キューブリックの本編と比べる方が間違い。「プーと大人になった僕(2018)」のクリストファー・ロビン役は、なるほど大人になったらあんな感じかもと、プーさん好きの僕は思う。
『パーフェクト・センス(Perfect Sense)』(2011)
監督:デヴィッド・マッケンジー
主演:ユアン・マクレガー、エヴァ・グリーン
来たるべきcovid-19のパンデミックを予見しているかのような2011年作品。
最初に嗅覚、それから味覚、順を追って五感を削がれていく謎の奇病が蔓延していく世界が描かれる。
ユアン・マクレガーはレストランのシェフ、エヴァ・グリーンは感染症学者。
人はしぶとい、頼りにしていた感覚をひとつ落としたからってへこたれやしない、が徐々に減らされ狭められていく、外界を知覚するレーダーが機能しなくなる。
五感が発達した事は、人の安心安全と結びついている。
匂いで腐ったり傷んだ食物を嗅ぎ分け、物音で危険を察知したり、目で敵を追う。つまり進化してきたそれらの感覚を取り上げられていくのだ。
そんな大いなる力の行使を見せつけられると、ご神託、神の試練、試されているのではないかとも思える。
今回のcovid-19も、飛沫を防ぐために人との距離を保て、不要不急の外出をするな、家から出るな、そうやって他者との接触を禁じられ、一方ではデジタル通信網によるテレワーク、リモートという新しい技術革新、旧い習わしが書き直され、一旦停止する経済が今まで止まる事のできなかったスピードを止め、生き方を思案する時間を与えてくれる。
これもまた何らかの力が働いているんじゃないのかと思ってしまう。
だって人の意思では変えられないくらいの崖っぷちまで来てしまっているのだもの、何かの力(天変地異や厄災)が加えられない限り、進路変更できないんじゃないのか。
でもご存知の通り、2011年東日本大震災3.11.であんなにこっぴどくヤラれたっていうのに、原発は再稼働し核のゴミを生み出し続け、汚染水を海に放出する。
これも人の逞しさ、というと語弊があるかも知れないが、図々しいところなのだ。
ところでこの映画の軸は、そんな厄災を通して育まれていく愛(字にしてしまうと安っぽいが) 詰まりそうしないとどこにも救いがない。
ひとつ感覚が消される直前、人間らしい行動が発症する。
食欲の渇望であったり、怒りの発露であったり、苦しみの増大であったり、それは哲学的でとても人間臭い。
何かを失う前、それで満たされるというところ、良かった。
『アメリカン・バーニング(American Pastoral)』(2016)
監督:ユアン・マクレガー
出演:ユアン・マクレガー、ジェニファー・コネリー、ダコタ・ファニング
紆余曲折あって彼が監督も兼ねることとなったらしい。
この映画の評価も賛否両論だが、僕はとても気に入った。
足りていないからこそいい。
技巧を凝らして着飾った作品なんかより、俄然稚拙でも言い足りなくてもそんなぎこちなさがいい。
想像をしていくしかない。
時代は60年代、娘役のダコタが反戦運動へのめり込み失踪してしまい、それを捜索する両親の崩壊、そこまで行き着く原因は何なのか、父と娘、母と娘、父と母(つまり二人の恋愛)それを検証していく。
娘の発言が昔の自分自身と重なり、稚拙だなぁと恥ずかしくなるが、でも今でも口には出さないが、何故そこにある現実から目を逸らすのかと憤懣遣る瀬ない気持ちになったりもする。
ティック・クアン・ドックの焼身自殺(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの1stジャケ)をテレビで見た彼女の反応は僕と一緒だ。
その反面いい歳になった自分にあるものは、父であるユアンとも重なる。
社会と迎合し生きていく術を学び、なんとか折り合いをつけ、自身を納得していくしかない。
コトの次第は映画を観てもらうしかないが、ただ事実を客観的に投げそれに対する答を提示しない、後は観客がその中に分け入って行間を読んでいくスタイルが好きです。