ほぼ僕の始まりを形成する松本零士の世界。(2018)
ほぼ記憶というヤツは、埋没していく定めにある。
浮いていられないのだ。
そうして生業てヤツが降りかかってくるので、ほぼほぼブランニューな気持ちに強制更新されてしまう。
どこかへ消失してしまった気持ちは、化けてでてくるのか、埋没したまま二度と浮き上がってくるコトはないのか、神のみぞ知るであった。
記憶や思いと同じように、細胞てヤツも、ほぼ一年ですべて入れ替わる。
代謝てのが、僕らを一年前とはほぼ別人へと変えてしまうのである。(クエン酸回路ての)
でも可変性てのがあるので、見た目は特に変わるコトもなく、システムが古くなればそのサイクルも劣化して機能が落ちていく。
ああまた、最初に考えていた思考が沈んでしまってる。
つまりですね、次から次へとやってくる変化に、追いついていかなくなってるてコトを説明したかっただけなんですね。
なにを差し置いても、まず先週初めに行ってきた「松本零士展」を総括しないとならない。
順番てのがあるからだ。
誰も知る由もないだろうが、僕は先生と二回出会っている。
1983年に公開された『宇宙戦艦ヤマト 完結編』僕は15歳中二(病)である。
その公開記念とやらで”ファイナルクルーズ”と称し、東京湾から出発するヤマト(客船)で、声優や製作者と共に2泊3日船旅に参加したのです。
そこで先生と握手、今は亡き富山敬さんと2ショット、逃げまくる納谷悟朗氏、僕はステージ上でアナライザーのアフレコをするという奇態を演ずるコトとなった。
そこまでの経緯としては、すでに小学生でヤマトの洗礼を受け、「銀河鉄道999」があり、「男おいどん」に傾いて、ほとんどの零士作品をコンプリートするに至っていました。
少女マンガ時代を省き、400冊ほどのマンガを持っていた。
「ワダチ」(息子の名前にしてしまうぐらいの酔狂)「ミライザーバン」「戦場マンガシリーズ」「聖凡人伝」「ガンフロンティア」主要作品はともかく、醒めた描写でさらりと交接シーンが出現したりする「蛍の宿」など思春期にはグッときた。
二度目は、近所で開催されたテレビイベント「無限軌道SSX」番宣でのこと。走って家へ戻って前述の「蛍の宿」にサインを貰ったのだった。
そんな熱狂も中学卒業と共に消失する。
”さよなら”だの”完結編”だの”新たなる”だの、そんなのに騙されない齢になったのだろう。
そしてマンガは神保町へと、すべて売り払ってしまった。
惜しむべくはサイン本だが、全部を消し去りたかったのだろう。
ようやく今に戻ってくる。
今回の展示は、かなり見応えあるものでした。
あの当時に狂った記憶と共に、生の原画に触れると、妙なくすぐったさがあり、製本されたものと随分違う緻密な描きも見えた。
表紙絵のカラー原画、ポスターの色塗り、宇宙に浮かぶ星々の松本零士節、機械の精密さ、銃や飛行機の機体でさえマニアックである。
暗い999内部、縦横無尽に浮かぶ意味のない計器類”零士メーター”
それだけで胸躍った十代が蘇る。
手塚治虫先生のアシをやった時の写真もあった。
少女マンガ時代から、年代別に並べられた作品の原画、アニメへと移行しセル画も多数展示されていた。
僕にとっては、四畳半とサルマタの怪人とサルマタケなのであるが、そいつがSFや宇宙と融合されると、あの世界が出現する。
アルカディア号のフィギュアや、先生所有の戦闘機の照準器なども並んでいた。
ああ、わが青春のなんとやら。
ほぼ僕の始まりを形成する松本零士の世界。
もちろん他にもたくさんの漫画で僕は構成されているのであるが。
そして誓うのです。
もう騙されやしないゾと(笑)
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