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『墨東奇譚』(1992)

『墨東奇譚』#一骨画

『墨東奇譚(ぼくとうきたん)』(1992)

監督・脚本: 新藤兼人、原作:永井荷風
出演: 津川雅彦、墨田ユキ、杉村春子、乙羽信子

永井荷風『墨東奇譚』が朝日新聞の夕刊に連載されたのは1937年(昭和12年)4月から6月まで、まさに日本が中国と戦火を交える直前だった。
世間のきな臭い動向よりも、二十五歳のわたしは、玉の井の娼婦との交流を描いた『墨東奇譚』への興味のほうが強かった。
〜 ドブ川の悪臭ただよう路地は単なる性の市場で『墨東奇譚』に描かれたお雪のような美しい女がいるわけもなかった。
〜 七十もだいぶ過ぎた頃、荷風の『断腸亭日乗』を読んで、荷風のすごさに脱帽した。『断腸亭日乗』は1917年(大正6)から1959年(昭和34)までの実に42年間にわたる荷風の日記である。みごとな文章と筆力に圧倒された。その徹底した自己のみを貫く生き方に感動し、三回も読んだ。わたしは荷風にとりつかれ、かつての玉の井(なつかしいこの名は消えて、現在は東向島界隈)から隅田川を越えて、浅草に出て、荷風の通ったアリゾナ食堂に入った。
〜 荷風に共鳴した七十五歳のわたしは、『墨東奇譚』を撮った。
二十五歳の時に出会った小説『墨東奇譚』は、五十年以上を経て、ようやくわたしの血肉になったのである。

新藤兼人「いのちのレッスン」より抜粋

荷風の本は読んだことがないが、新藤兼人監督の映画なら間違いはない。
先生は躍動する生に着目し、一貫してそういった種類のエネルギーを変換して映画を撮る。根っからのIndependent作家、撮りたいものだけを撮り続けているのだ。
いつか先生お奨めの『断腸亭日乗』を読んでみよう。

今年も恵方巻き(節分)の刻を迎えた。
関東圏に住んでいたのでその風習はなかったが、ここ数十年、企業努力もあってか定着している感がある。
それで思い出すのが、その時期になると、遊女が家庭に戻ってしまう旦那衆を愛憎半ばして、帰ってしまった方角を向き、苦々しげに恵方巻きを頬張りながら願をかけるのである「早く逢いにきてほしい」と。
誰から聞いた話だったか本で読んだのだったか思い出せないが、その切なさが遊郭をイメージする時浮かぶ。
でもそれでいて逞しく、自身を切り売りしながらもオトコを魅了するのである。

本来、男とは家庭における通行人ではないか。
つまり、仕事人である父親とは社会的な存在で、家庭的な存在ではない。
父にとっては、家庭がうっとうしい。 

- 新藤兼人 同著

さて本作であるが、例によって粗筋などを語っても仕方なし、
日本のデ・ニーロと自ら豪語(出典未確認)する津川雅彦を主人公に、飄々と遊ぶ荷風を描いてる。

書籍の虫干しをしてる荷風が唯一作家たる所以か、そのほとんどがオンナ絡みで遊んでる。

玉の井遊郭の佇まいがいい。
"ぬけられます"に、"ちかみち"などのネオン看板が、ずっといいペーソスを漂わせる。
玉の井名物の蚊の応酬にドブ川臭さを感じ、
日本兵を引き連れた隊長の「よし、かかれ!」に苦笑する。

東京大空襲があり、関東大震災がある。

乙羽信子が象徴する娼婦の成れの果てに悲哀を感じた。
人は望む望まずにかかわらず生きていかなければならないから、成れ果てたり朽ち果てたりしてしまう。
それでも刹那に輝き、放蕩し、悦楽を愉しむ、そんな映画だった。

永井荷風は最期まで生き切った。

『墨東奇譚』(1992)