一骨画。 2022.03.07.
自粛生活、2年を超えてきた。
ワクチンも打っていないので、是が非でもcovid-19にはかかるわけにはいかない。
ロシア、ウクライナ侵攻。
ニュースをみているとまるで戦争じゃないか、いやこれはまごうコトなく侵略戦争だ。
原子力発電所を攻撃する狂気、なすすべもなく固唾をのむ。
起床、布団をあげる。
だいたい約7割の確率で憂鬱になる時間、このループ感にゲンナリとなる。
これが何時の何処だろう、万年床でもない限り繰り返す朝の儀式だ。
時には(1割くらい)躁な気分になり、うひょーと小躍りしながら一日を始める場合もあった。
後の2割は無感情。
人の慣れというものは怖ろしい、能面で布団をあげる時もあるのだ。
週末(あまり旗日だの関係ない生活ではあるが)とても気怠くて日常のルーティーンに終始する気になれず、それでいて何かをしていないと時間を持て余してしまうので、絵を描いて過ごす。
何でもいい、兎に角何事かに集中していれば、下手なコトを考えないで遣り過ごせるのだ。
いつものように猫、それから自分自身を描く。
自画像などを描くとナルシストだと思うのだが、特に描くものもなくそれでいて其処にあるので、手っ取り早く重宝だ。
今は携帯の写真でちゃっちゃと撮り、それを下敷きにして構築していく。
絵には写真にないものがある。
感情だ。
人の目をフィルターにし、その人でないと感じられないモノを、わざわざ遠回りして紙に描きつける。
とエラそうに云うが、今のところは写真の方が真実を写し出していた。
ダメだ、負けそうになる、それでも無視して描き殴る。
考えこんでしまったら、筆は進まない。
アルコールの力でも借りようか。
そんな遊戯を続けていくうちにどうにか最後までいく。
時間は圧倒的に経過していく。
だから、何をしようが、何をしなかろうが、時間は滔々と流れていくのだが、こうやって吹っ飛んでいく時間が好きだ。
記憶がないんだ。
批評も後悔も後戻りもしない、もの凄いスピードで先へ急ぐのにアクリル絵具は適してる。
高等遊民の遊び。
後々考えると、ただ逃げているだけのような気もする。
今の現実を直視できないから、別の何かに注意を逸らし逃避してるとも思える。
金銭の煩悶、どうせそんなとこだろう。
でも僕は逃げ続ける、足跡を消し、逃げられるとこまで逃げる、今は逃げてそれを避ける、死なないためにも。
逃げるという言葉に語弊があるとしたら、寄り道でも道草でもいい。
しょせん言葉は言葉の範疇から逃げられやしないんだから。
就寝、布団を敷く。
一日が終わる、というコトを認識できないくらい泥酔していると楽だ。
あとは布団に飛び込むだけでいいからだ。
それでも大抵は、布団の中、右へ左へ寝相を変え、外が明るくなるまで身悶えする。
また一日が始まってしまう。
それは仕合わせなコトなのに(だってそのままずっと永遠の眠りについてしまう場合だってあるのだもの)
振り出しに戻る。