【鉄面皮日記】22/07/18. 小翔、大翔、そいで死翔。
7月12日19時15分、猫の小翔(18歳)永眠いたしました。
その10日ほど前から体調を崩し、食事も水も摂らなくなったので、これはまずいなと3日間病院で点滴をとった後でした。
入院を勧められたがそんな入院費もないので通いで点滴投与。
去年の同じ時期にも体調を崩し、その時は点滴一発で復調したのだが、今回は脱水症状まで起こして足腰もふらふら、どんどん痩せ細り、屈むのにも難儀なようで、数日で急激に衰えていった。
一度、玄関の引き戸を自らこじ開け、車庫の方まで遁走したらしい。(家人の話)
思い出されるのが、猫は死期を悟った時に独りで墓場へ向かう、という話。
食べなくなっていったのも頷ける。
老衰に於いては、食事を極力摂らない方が綺麗に逝ける。
余計な養分を入れないコトが、身体を軽くし苦しまずに逝けるのだという。
だから僕らは、随分と余計な邪魔をしてしまったのかもしれない。
ヤツの方が、何倍も賢いんだ。
今年で約19年の年月、つかずはなれずずっと傍にいてくれた。
酸いも甘いも、ヤツの嗅覚は嗅ぎ分け知ってるハズだ。
野良猫8匹、カラスに襲われたところを救出されやってきた。
数匹はその傷が元で亡くなり、4匹ほどが里親に出され、友達が2匹、奇跡的に無傷だった1匹がヤツ。
黒と白のおかめ猫だから、コショウ。
胡椒だと味気ないから、小さく翔ぶという字をあてて"小翔"
冗談で、始め小翔、大きくなって大翔(大将)、それから死翔(師匠)と出世させよう、と。
このたび、ほんとに死へダイヴしてってしまった。
賢いヤツだった。
下北沢BAR看板猫として8年くらい、家猫になってからは3回の引っ越し、
遂にはこんな片田舎にまで連れてきてしまったが、晩年はのんびりできたんじゃないのかね。
3回目の点滴投与を終え、籠に入れられ家に戻ってきた。
点滴の左腕から右へと変えられ、腕は包帯に巻かれてる。
自らじゃ外へ出る力もなく、ぐったりとしてしまってるので抱き抱えソファへ寝かせる。
荒い呼吸で、時折ひきつけを起こしビクっと動き、もうこれは虫の息だ。
尻尾の根元をポンポンされるのが好きだったので優しく叩き、じっと目を見る。
なんかそこで涙が出てきてしまい、
「もういいんだよ、いっちゃいな」としか言えない。
カァーーと出ない声をかなぐり出し、吠えて牙が露わになって、凄い形相だ。
なにか言いたそうなのだけど、もちろん僕にはなにもわからないから、見ているしかない。
辛いんだったら、苦しいんだったら、直ぐにたってくれと哀願するだけ。
「目を閉じていいんだよ」と何度も言うが、見開いたまま、ぐっと息を吐き続けている。
どんどん呼吸が早まり、合間には声も出せずに吠える仕草、手からは爪が伸びて堪えているようだ。
それから、ぐぅぅーーっと思いっきり前足後ろ足を伸ばし長くなると、すっと丸まり、
そして逝った。
目は見開いたまんま。
目の色がガラス玉のように生気を失っていく様がわかった。
かっこよく、勇ましく、ぜんぶを受け入れて旅立っていった。
家に戻ってから30分くらい、
ほんとは誰にも見られず独りで行きたかったのかもしれない、
けれど、ここまで虫の息で帰ってきて、死に様を見せてくれた。
僕の他には誰もいなく、義理のお母さんが遠目でみていた。(少し煩かった)
見開いたまんまの目を無理に閉じてやる。
数分後、買い物に出ていた妻が戻ってきて、呆然と泣き伏す。
僕はもう平常だ、横たわる亡骸にココロは消えている。
1時間くらいで死後硬直、硬くなって、それから失禁していたので毛布が濡れていた。
凄いヤツだった!
僕はこうやって逝けるのだろうかと自問自答しながら、
弱っちい僕は、あの目ん玉を思い起こしながら、ただ無闇矢鱈と酒を流し込む。
晩年、彼が好きだった"チャミスル"、グラスの外につく水滴を舐めるのが好きだったけど、
"チャミスル"は香りがいいのだかグラスに口を突っ込んで飲もうとするんだ。
弱っちい僕は、死に際まで生きるよ、
狡猾に逃げまくって最期はキミのように果敢にカッコよくいくよ。
今まで、ありがとう。