【鉄面皮日記】23/06/18.Rat Race "皿洗い"
"ネズミの競争"と称しシリーズでやってるバイト遍歴、
先は長いですが50年以上も生きてりゃイロイロやってます。
誰かしらにこれを反面教師として生かせてもらえば幸い成り。
"皿洗い"と"新聞配達" これは苦学生にとっては二大バイト(昭和)じゃなかろうか。
苦学生じゃなくとも取っ掛かりとしては最もポピュラーで潜入しやすい。
そんな敷居の低さが、差し当たり、とりあえず、と先人達を誘い込む。
生憎と"新聞配達"はやっていない。
恐怖新聞くらい配っときたかったし、元気くんが電柱の間をシャドーボクシングしながら走り抜けていくのには憧れたけれど、早起きは苦手だ。
"皿洗い"バイト
"皿洗い"は2回やっている。
どうだろう、僕に向いているのかも知れないのは、あまり他者と関わらないで済むからだろうか。
厨房の花形はもちろん料理人(調理者)、映画でいえば監督や制作サイド、それから中居(接客)はお客さんとの間を取り持つ柄を持ち合わせていないといけないから、これは役者といえるかも知れない。
オーナー(経営者)はもちろん出資者でいいが、皿洗いとなるともう裏方の中の裏っ側、撮影の裏でお片付けをする役とか、ゴミ出しみたいな雑用係、見えざる舞台裏。
であるから、本番にはあまり当たり障りもなく裏方というような大層なものでもなく、汚れた皿を洗い所定の場所へ戻せばそれが"皿洗い" お給金を頂けるわけである。
19歳半ば、海外行きの夢を果たし英国ロンドン、友人のホームステイ先に転がり込み、バイトにありついた先が皿洗いでございました。
Japanese Restaurant "弓(yumi)"
ネット検索してみたけれどたぶんもう無くなってしまったようだ。
そうですね、35年以上も昔の話です。
その当時の日記を開いてみました。
月・水・木曜日、11~15時、17~23時、時給2ポンド、週払い143ポンドとの記述あり。
当時(1988年)は1ポンド約240円くらいだったので、時給は今でいえばかなり安いが、週払いで一ヶ月12万くらい貰っていたとなると案外悪くはない。
日記を読んでみたらやはり愚痴ばかりが並んでいて、その頃に考える目一杯の背伸びした感じが痛々しい。
今思えばとてもよくしてもらった記憶しかない。
親方は寿司カウンター、あと焼き場では焼き鳥など焼き物、煮物、イメージ通りの日本食レストラン。
割烹着の中居が走り回り、板前さんは真っ白な作務衣、「前略おふくろ様」を知っているので、僕も最大限の敬意を以て調理人と接したのだがそれはあくまでもドラマの話、特に海外ともなるとかなりユルく、どちらかといえばなんでイギリスまで来なけりゃならないのという挫折感が強い親方はやる気がなく、焼き場(前略的にいえば三番包丁だからサブちゃんかな)の板さんはトッポくてお調子者、とてもよくしてもらった。
戻ってくる皿は手を付けていないような焼き鳥や寿司が残り、タッパを貸してもらって夜食として持って帰り、
まかないも和飯、イギリスに居て和食をこれだけ頂いたというのも可笑しな話だが、たぶん人生最大に肥えていた時期だろう。
親方が、「米炊いておいてくれ」と言うので、「マヂすか!?」
オレなんかが米炊いちゃっていいんすか!と吃驚したっていうぐらい、ノリが軽いのだった。
ホームパーティーなんかにも呼んでもらい、海外赴任している悲哀を感じた。
親方はさっさと任期をこなして日本へ帰りたい、三番包丁はこの地で日本食レストランを開店する野心、そんなのが交錯していて僕はその中間辺りをウロウロし、コロンビア人と一緒に皿を洗った。
中居さんの女の子と仲良くなった。
同い歳なのにすごく大人っぽく、僕はもちろんロック好き、彼女はたくさんのバンドを知っていてロンドン事情を網羅していた。
危ないクスリも彼女から貰い、クラブに連れていってもらい、彼女の推してるバンドを見た。
僕が好きだったパンクロックは観光化され、グランジやガレージ、極右のモッズ(スキンズ)、サイケデリック(60年代)リバイバルなどが80年代後半の英国を揺さぶっていた、テレビではカルチャークラブやデュランデュランだったけれど。
"皿洗い"は、僕のイギリス滞在の遠い思い出と共に、素敵な記憶しか残っていない。
それから半年、イタリアの友達に逢いに行き戻ったらロンドンの空港で入国拒否、そのままイタリアで足止め2ヶ月、けっきょくイギリスには入れてもらえず強制送還という顛末。
三番包丁の板さんが、住居の片付けをしてくれ荷物を日本に送ってくれた。
彼はちょうど自分の店を始める矢先で、そこへ誘ってくれていたし、とにかく帰ることはまだ考えていなかったので、突然に幕が下りてしまったのだった。
もちろん観光ビザで長期滞在しバイトまでし、入管に厳しいイギリスであまりにも無茶したもんだ。
子供だったのです。
ぜんぶ自分で台無しにして、そうして次のステージを準備してしまったのです。
板さん、部屋を引き払ってくれたのは嬉しいのだけど、写真とかイロイロ備え付けの引出しに入っていたもの忘れていて、そんな写真と共にそれまでの生活も永遠に失われてしまった。
あれからイギリスには行っていない。
もしもこれから先、訪れることがあったとしても、それは時間軸が違う。
20歳の誕生日を過ごしたあの地は、どう足掻いてみたって帰ってはこないから、未消化で気持ちが悪い。
最後のロンドン、三番包丁板さんの新しい店を見に行った帰り、
走ってるダブルデッカーから威勢よく飛び降りたら、ひっくり返って道端に転げた。
板さんのびっくりした顔、それが忘れられない。
「だいじょーぶか!」と駆け寄ってくる。
あの時間はもう取り戻しようもないんでしょうね。