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コトはじめ。

秘密裏にコトを運ぼうと思ったが、そんなワケにはいかないだろうコトも明白だった。

どんなようにやるにせよ、このインターネットを使えばリスクを冒さなければならぬのだ。

去年末、6年くらい書き込んでいたいわゆるブログ的なものが抹消されてしまった。

無料というコトは、それだけ見返りを要求され(知らぬうちにも)

それからいつ消去されても文句も言えない立場に置かれているというコト。

資本主義社会の構図の末端で、小さく喘ぐのだ、ガッカリしたなァと。

幸いにも少しは下書きなど保存してあるので、再構築も可能であろうが、それをしたところでいったい何になろうか、吐き捨てるように今を綴っていただけなので、その今がそこにはないので冷え切った過去のガラクタに過ぎない。

あらゆる人が、そうやって今を切り取り、ネットに貼り付けていく。

貼り付けた瞬間にそれは古くなり、無意味なものに成り果てる。

いや先から意味などないのかも知れない。

携帯で撮った無意味な動画を容易くアップロードし、それからたくさんの賛同を得て承認欲求を満たす。

顔の見えない相手との微妙な繋がりを感じて、少しは現実を直視しないで済むのかも知れない。

しかしこのスピード感たるや凄まじい。老いを感じるのだ。

如何に便利になろうとも、電気の速さで動かなければならぬのなら、これはもう電気になってしまう他ない。

人はそんなふうにできていないので、じたばた、もたもたしながら、新機軸に翻弄されていく。

新しいものが生まれた瞬間に朽ちていくので、今の時代のスピード感は光速だ。

追っ手を振り払うためには足跡は消したほうがいい、がネット社会で痕跡を消すのは難しい。