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下澤さん

その日、友人の父親に連れられて、北海道、津別町内に唯一あるというスナックに来ていた。
その名も「愛飲酒多飲」。知性に満ちたカタカナネーム「アインシュタイン」も漢字を当てれば、「アル中患者の巣窟」を想起させる地獄みたいな名前に大変身。

深夜23時過ぎということもあって、店内は多くの「愛飲酒多飲」たちで溢れかえっていた。

ほら、カウンター席で僕の隣に座っている親父、下澤さんなんて、酔いで呂律が回らなくなっている。最初は寡黙に見えたおじさんも、酔いどれである。

「オメェ、バイク乗りは山走ってなんぼだべさ〜」

酒気を帯び赤らんだ顔が僕の真横で熱弁を振るう。ちなみに下澤さんの話し方は、どこか江頭2:50に似ている。

「はぁ、そんなものなんですかねぇ」

僕の煮えたぎらない態度が気に食わなかったのだろうか、
下澤さんのトークにより一層力がこもる。

「そりゃそうだよ。綺麗に舗装されたコンクリートなんか走って何が楽しいんだよ。山だよ。山、山。草藪をかき分けて、ドリフトなんかしながら、熊に怯えて走るのがバイク乗りってもんよ。」

ちょっと待て、熊は違くないか? 最近北海道では、熊目撃のニュースを見ない日がないくらい熊出没率が増加している。冗談として笑い飛ばせない。くまったなぁ。

でも、確かに草藪をかき分けるのも、ドリフト運転するのも楽しそうだ。

「僕もいつか、荒れた道も走れるライダーになりたいもんですな」
どこか他人行儀な口調で僕は返答した。

すると、下澤さんは、僕の肩に手をまわし、一言。
「何言ってんだおめ、次の休日、俺と一緒に山行くぞ」

「へ?」
「へ?じゃねぇ。そうだ、屁でもねぇよ、山なんざ。何たって俺、いい先生だからね。」

待って、待ってよ下澤さん。僕、まだペーペーのペーパードライバーだよ。
免許をとってたった数ヶ月。納車されたのが3日前。通算走行距離150km。

そんな奴に、ドリフトやら、山道運転やら、あまりに飛び級すぎません?
正直な思いを吐露すると、下澤さんは、とぼけたような口調で言う。

「だから、やるんだべさ。一気に引き上げてやるんだべさ。スライムちまちま倒して経験値を稼ぐより、1発目からラスボス倒した方が、早いじゃねぇか?」

わかるようでわからないドラクエの例えに狼狽しながらも、便乗してみる。

「でも、僕、装備も何もないですよ。丸裸でラスボスと格闘だなんて、無謀が過ぎます。」
「なら、俺のバイク貸しちゃるよ。なんたって俺、バイク、8台も持っているからね。」

少しずつ、退路を断たれている感覚。これは、まずいかもしれない。

「でも、バイク壊しちゃうかもしれませんよ。」
「いいさ、お前になら壊されたって。」

あれま、この短時間で随分、好かれてしまったみたいだ。この人たらしめ。ばかばか、僕のばか。

「ま、初心者はどうせ怖くてスピード出せねんだから、壊せないだろうけどな。かっかっか。」
大きく高笑いをしたあと、下澤さんは急に真面目な顔をし、脅すように語りかける。

「壊れるとしたら、お前の身体かもな。怪我だけは気をつけろよ。」

いや、ちょっとちょっと下澤さん。何を他人事みたいに。
僕、そもそも「やる」って言っていないんですけど。

もう、彼の中での週末のスケジュールは埋まったご様子。

「大船に乗ったつもりでいるといいさ。俺ね、自分で言うのもあれだけど、いい先生だよ〜」
「いい先生なんですねぇ、そりゃ心強いや、ははは。」

完全に愛想笑いである。
山道に惹かれている自分はいながらも、あと一歩踏ん切りがつかない。生存本能が「やりたくない」とSOSを発している。

僕の迷いを見抜いたのだろうか? 下澤さんは、空のウィスキーグラスを見つめながら、優しく語りかける。
「ま、やるかやらんか決めるのはお前だ。やりたくねぇやつを無理に連れ出すことはしないよ。俺は、いい先生だからね。」

ここまで下澤さんを熱くさせておいて、断るわけにいくもんか。僕は、「自称:良い先生」に己の命運を託すことにした。

「下澤さん、ちょっと待ってね。」マスターに生ビールジョッキを注文し、クイっと一気に飲み干す。急速に取り込んだアルコールによって脳内に霞がかかるのを感じながら、僕は、声高らかに、宣言する。

「下澤さん、僕、山道、走ってみたいです。次の日曜日、お願いします。」

こうして、僕と下澤さんの山道レッスンの開催が決定したのであった。

ちなみに、後で、友人父から聞いたことなのだが、
下澤さんは、かつて地元のヤンキーグループを牛耳る、町一番の番長だったとか。

「俺、いい先生だよ」
この言葉、本当に信じてよかったのだろうか。

高揚感と若干の後悔を抱えながら、僕は次の日曜日を待ちわびている。


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