あなた達は殺す側だからそんな風に言えるんだ
海老名市で兄弟3人が母親に殺された事件
子育てに悩んだ母親が3人の子供を殺す事件が起きてしまった。
子のうち一人が、不登校、癇癪で悩んでいたとの事で発達障害などの界隈がXで盛んに発信している。
しかしその内容にひどくモヤついているので、女であり年齢的にも彼女らに近いであろうが母親ではなく発達・精神障害当事者である私からも発信する。
私はネガティブな刺激を受けたくないのでネットのニュースサイトを基本的に見ないようにしているのだが、Xでどうしてもオススメに流れて来てしまいこの事件を知った。
だから、事件の詳細についてはネットでうかがい知れる程度の事しか知らない。
その子がどの程度の癇癪であったとか、そもそも発達障害なのか、母親のワンオペだったのか、行政の対応が本当に悪かったのか、何も知らない。
けれどそれは、今騒いでいる誰もがほとんど同じだと思う。
私がモヤついているのは母親への擁護意見だ。
障害のある子を抱えて悩んでいるとするアカウント(嫌な書き方になるのを許してほしい。X収益化以来そういった肩書を詐称して注目を集めるアカウントも少なからず存在しているので)から我も我もと言わんばかりに
『母親を責めないであげて欲しい』
『大きくなった子の癇癪がいかに大変か』
『相談機関がいかに頼りないか』
『親(特に母親)がいかに追い詰められているか』
を語るツイートが毎日のように出てくる。
これはこれで、一昔前なら親を糾弾する事しかしなかった世の中より良くなったのだろうと思う。
これらの言葉も否定しない。
私の発病時の荒れ狂っていた頃だけでも対応する側は大変な苦労だったと理解しているし、専門を名乗っておいて適当に相槌を打つだけのカウンセラーや逆に怒って説教するいのちの電話相談員もたくさん見てきた。
依然母親の負担ばかり大きいのも周りを見ていれば分かる。
けれど、
『なら結果的に子供を殺してしまったことは仕方なかったよね』
と、そう言わんばかりの声に、冗談じゃないと私は思うのだ。
無理心中って言うな
今回の事件「無理心中」と書いていないニュース記事を見てちょっと感心している。
基本的に私のこの手の事件に対するスタンスは、ドラマ「アンナチュラル」のそれだ。
どんな理由があったとしても、事実は「殺人者が自殺を図っただけ」。
まして子供相手なら、どうあがいても覆せないパワーバランスの元強行された殺人だ。
今回の事件、トラブルの話の出ない中学生という結構大きくなった兄弟まで手にかけており、血を流す程頭を殴った上で首を絞めている。
頭なんて固いのだ、殴ってもそんな簡単に血なんか出ない。
中学生なら逃げたり抵抗する力だってある。なんなら小学生だって。
それが複数、完遂出来ている時点で「ただ追い詰められた可哀想な女性」ではない。
殺されるなんて夢にも思わない相手の背後から道具を使って余程の力で殴りつけたか知らないが、殺意が高すぎる。
確かに苦しんでいたのだろう。彼女だけの責任ではなく世の中のシステムの不備があっただろう。
けれど子供という他人がむごい殺され方をしていい理由にはならないはずだ。
まして心中とかいう、どこか美化される悲劇扱いされていいはずがないのだ。
まあXで母親擁護論を叫んでいる人はおそらく、この事件の母親がどうというより自分の身に起きている窮状を訴えたくて必死なのではないかという気がしている。
障害児や不登校の子と向き合わない父親
相談しに行けと安全圏からアドバイスだけする周囲の人
なんの解決もしてくれない支援機関
どうにかしてくれと。
それはそう、分かるよ。当事者的にもこの辺改善されてほしい。
そういう母親達にしたら、今回の事件は明日は我が身と思ったのだろうし、だからこそ「母親を責めないで」と、突き詰めてしまえば「こういう状況では仕方なかった」という論調になるのだろう。
そして「母親じゃないその他大勢」もその向きに逆らえない空気が出来ている気がする。
だから私は敢えて言う。
それはあなたたちが殺す側だからそんな風に言えるのだ。
障害があって育てにくいから、そもそも子育ては大変だから、子供は殺されても仕方ないのか?
辛かった母親を許してあげてと言うのか?
子供という立場で、実の親に殺される恐怖や絶望を想像出来たらそんな事言えないと思うのだが。
私は別に無理心中などされなかったけれど、一番病状も思春期的にも悪かった頃、母親と何か言い合いになって泣いていたら突然母が脈絡もなく引きつった顔で
「お母さんね、最近包丁よく出してるの。床とかそれで傷だらけなのよ」
と言い放ったことがあった。
母は普段から決して自分からああしたいとかこうするとか直接言わない。いつも間接的に相手に察させようとする人だ。
要は、実際に包丁を取り出したり刺すとは言わないけれど、刃物をちらつかせた脅しなのだ。
その時の絶望を今でも覚えている。
ああ、この人はそういうつもりがあるのだ。こうして宣言するくらいに。
本当に刺されてしまう前に私が刺すしかないのだろうかとすら考えた。
とてもじゃないが自分はそうされて仕方ないから殺されてあげようなんて思えないし、母を許そうとか、ましてそんな母への愛情なんて浮かぶはずもない。
これを言うと「殺す側である人」は怒るのかもしれないが、母に対してごめんなさいとも思えなかった。
ああ、そこまで思い詰めさせているのだな位は頭が回った気がする。
またここまで極端ではないが、今でも母は「母親業とは大変なのだから子供をぶったり蹴ったりして当然だ、そうでなければやっていけない」と胸を張って言う。
そんな考えの母が怖いし、そんな訳はないと思うが私は母親にはならない人生を選んだから時々分らなくなる。
自分語りが長くなったが、私に限らず精神疾患を患っていた周囲の子達は高確率で親側にも問題があり、殺されそうになったり危害を加えられそうになった経験があって、少なからず心に傷を負っていた。
私達は殺されうる側だった。
この事件の解説をしている配信で「なんらかの問題を抱えた当事者でありケアを受けるべきはむしろ母親だったのでは」という考察がされていた。
私の母はあの頃ちょうど更年期障害が起きる年頃だっだ。
実際そうだったのかは分からない。けれど当時は他の家族が見ても異常にヒステリックで、更年期障害の症状にはよく当てはまっていた。ついでに言えば、恐らく母も発達障害なのだ。
けれど、私と言う病人がはっきりしているが故に母は自分の問題に気付かなかった。
精神疾患も発達障害も、はっきり言ってまだまだ蔑視されているもので、誰も自分がそうだとは思いたくない。
おかしいのはこいつだけ、自分は違うと思いたい。
そうして取りこぼされるものが多分、いっぱいあるのに。
そういえば今回の事件の母親も、当時の母と同じ位ではなかったか。
「責めないであげて」は許してあげて、だ。
障害という理由があれば、自分より弱い立場である子供を殺した人間を許すのが良い事みたいになっている空気が本当に嫌だ。
ちらりと見てしまった
「他の兄弟も殺したのも、生き残らせても『人殺しの家族』にして苦しめてしまうから…という母の優しさ故にそこまで思い詰めたと思うと…同じ母親として理解できる」
という主旨の投稿もぞっとするのに、それなりにまかり通っている考え方なのが恐ろし過ぎる。
本当に、殺す側の考えしかない。
そういう意見がなんで、こんな良い事のように広まっているんだ。同調すべきになっているんだ。
殺されても、仕方がなかった子なんていないだろうに。
もう一つ。このニュースで「相談する事」をやめないで欲しい。
この件で「何度も色んなところに相談に行ったが救われなかった」実例が沢山挙がっているのも心配している。
折角少しずつ、困った時は相談を!そういう場があります!と周知されてきたのに
「相談なんてしたって意味が無い。どうせまともに相手されない」と広まっては救われたはずのものも救われなくなるからだ。
確かにまだまだ質の悪いところは多く、地域格差もあるし、人と人との事なので相性のいい悪いで左右もされる。
が、相談をする事は正しいし絶対やるべきなのでどうか無意味と切り捨てないで欲しい。
「セルフケアの道具箱」という公認心理師・臨床心理士の書いた本でも「めげずにまあまあ信頼できる人を探し続ける」とある。
苦しい時は今すぐ何もかも解決してくれるものが欲しいけれど、残念ながら魔法はまだ存在しないので「まあ悪くないかも?」な相談先を増やしていって欲しいと思う。
折角時間やお金を掛けて行った先にクソみたいな説教されたり当たり障りないムカつく傾聴のされ方して嫌になっても、それを行動した私達は絶対的に正しくて偉いので。