ネクラ感を必死に
もう生きている時間の半分を『ネクラ』と呼ばれたくて生きてきた。
僕は、文章を書くとどうにも僕の中のネガティブな面が強調されるが、リアルで会うと『明るくていい奴』とも定評がある。僕はみんなとカラオケに行けば、「小さな恋の歌」を歌えるほどに明るくて横柄な性格をしている。
今年は友達と会話する機会が多かった。自分は友達が少ないと思い、友達が少ない人間として世の中を独自の視点で切り取ることができると信じてやまなかった高校・大学時代を過ごしていたのに。最近、気づいたのだけど、僕は友達が多い。
思えば、自意識との葛藤で「友達が多い」ということを否定し続けた人生だった。
正確に言うと、「友達が多い人」市場において、別に自分は特段、「友達が多い」わけではない。人に自慢できるほどの僕のアイデンティティではない。だけど、多分世の中平均よりかは多いと思う。会社の友達、大学時代のサークル、ゼミ、インターンの友達、高校時代の友達…と、数えてみれば多い。結婚式があれば「呼ぶ友達がいないことに悩む人」と「呼ぶ友達を誰にしようかと悩む人」に分かれるらしいが、おそらく僕は後者に部類されるとは思う。それくらいに、友達が多い。
じゃあ、なんで「友達が多い」ことを否定していたかと言うと、中学時代に遡る。当時、弱冠14歳というナイフのように尖った感性をしていた僕は、松本人志の『遺書』に出会った。その本の中で、『おもしろいやつの三大条件 ネクラ・貧乏・女好き』という言葉が記載されており、それは僕の心に突き刺さって、その後の僕の人生の指針ともなってしまった。
しかし困ったことに、僕は貧乏ではない。女好きではあるが、むっちゃくちゃな女好きと言うわけではない。そんな僕にとっての蜘蛛の糸が『ネクラ』だった。『ネクラ』くらいなら自分の努力で達成できるような気がして、それ以降、『ネクラ』感を纏って生きてきた。そうすることで、面白いやつ、才能のあるやつと誰かから一目を置かれたかった。
今思うと、『ネクラ』の1特性だけで、他の2つの特性を持っていないのに、その辺りの辻褄を自分の中でどう合わせたかは覚えていない。そういう無鉄砲さこそ若さであり、若いっていうのは残酷だなとしみじみと思う。
僕は人生の半分を『ネクラ』という自分にマッチしているわけではない特性に捧げてきた。必死に誰かの一目に置かれようとした。置いてくれないかな、と、色んな人の一目を見て回った。そんな自意識に溢れた生活を高校生以降過ごしてきた。
さらに、今年は「一目を置かれる」ため、僕なりにチャレンジした。それは、「自然の中で孤独に暮らしてみる」ということだった。
なんだか才能のある人って、孤独の中に生きているイメージがある。文豪とか、宮崎駿とか、小林賢太郎とか。だからちょっと自然の方に引っ越して、孤独に自分の時間を過ごしてみようと思った。
だけど「孤独な自然の中」で2ヶ月ほど過ごしてみて気づいた。「孤独」の周りには、「不便」と「虫が多い」と言う事実。わざわざ不便な場所に居て、虫を恐れながら。「そこまでしてお前は孤独が欲しいのか?」と言われたら「NO」だった。大きい声で「NO」だ。
この時の学びとしては、自分に合わないライフスタイルを飲み会のツマミとするために背伸びしても、やっぱり自分の体が追いつかないということだ。そんなこと、やってみないと分からないのかよと笑われるかもしれないが、そういう無鉄砲さこそ若さであり、若いっていうのは残酷だなとしみじみと思う。(2回目)
そんなこんなで「自然の中で孤独に過ごす才能あるっぽい人」計画は頓挫し、意味のない引っ越し費用と敷金礼金にお金がかさんだ。この辺りから「会社から家賃補助を受けている」「社宅に住んでいる」「実家に暮らしている」という同世代の人たちに「貯金いくらくらいあるの?」と質問し、その返答に対して人間とは思えない悪態をつくと言う嫌な習慣がついてしまった。お金は人を狂わせるのだ。そんな申し訳ないことをした皆様のために、いま僕は斉藤和義の『やさしくなりたい』を聴きながら心のキャパシティを拡大工事中なので、今度会うときは期待して欲しい。
その後、都内に引っ越すと、驚くほどに友達と会って遊んだ。そのときになってやっと気づいたのだけど、僕が欲しいのは「孤独」ではなく、「程よい1人の時間」だった。友達がそこそこいるが故に、常に人と繋がっていて、だけど本を読んだり映画を見たり漫画を見たりするのも好きな自分にとっては「程よい1人の時間」が欲しかった。
それ以上でもそれ以下でもないあっけらかんとした事実だった。
と、まぁそんなことを恥ずかしげもなく言えるようになったのは、「才能あるっぽいことへの憧れ」が薄れてきたからだと思う。この1年間で圧倒的に薄れてしまった。
僕は普段、世の中で「クリエイター」と呼ばれる存在と一緒に仕事をしている。
「クリエイター」なんて、僕が高校時代からずっとなりたかった存在だった。その人たちへの憧れがあり、「いつかは僕も」という気持ちで見ていた。
でも一緒に仕事をしていくうちに気づいたことがある。「クリエイター」っていうのは、その生き方とか才能とか、そういうのではなく、ただの「役割」の名称だった。それが偉いとか偉くないとか、そう言うんじゃなくて。役割。ただそれだけだった。
役割、に上下はない。
フォアードだけでサッカーはできるかというとそうではなく、ミッドフィルダーもディフェンダーもゴールキーパーも必要だ。その人たちがいて初めてサッカーができるように。
ただ一連の作業の中に、「クリエイター」という役割がある。それだけだった。ほかに「営業」や「マーケティング」や他にも「デジタル制作」や「イベント制作」や「リサーチャー」や、いろんな役割が集結して【納品】を目指していた。
例えば、お酒を交わしてお客さんと仲良くなって、お客さんの本音となる要望を聞き出す営業さんもとても大切な「役割」で。例えば、お客さんの社内で論理的な合意形成の至るための必要なロジックを整理するマーケティング担当者もとても大切な「役割」で。
僕たちは与えられた役割を全うし、お金をもらい、消費しているだけ。その生活に上も下もない。そんなもんなのだ。
じゃあもう、クリエイターがただの「役割」なのだとしたら、そこに適性があるっぽく見せるために『ネクラ』を気取るのは辞めようと思った。
僕は、
明るい色の靴下をよく履く。
クラブのDJをしている友達がいて何度かクラブに行ったこともある。
手首にタトゥーの入っている美容師さんによく髪を切ってもらっている。
スタバで落ち着いて注文することができる。
女性と歩く時はちゃんと車道側を歩くことを心がけている。
友達とフットサルして、そのあと銭湯に行くという休日を過ごしたことがある。
これが僕だし。もうネクラ感を出すことに必死になるのはやめようと思う。そんな2022年以降にしようと思います。また来年も飲みに行ったりたくさんお話しましょう。