暴露療法にはオチがあった
イボガールです。
イボガのマイクロドージングを今週末に控え、ディエタをしながら音声プログラムを聴く毎日。
『IBOGAコース』は現時点で15章あって、1章から順番に聴いて当日を迎えるようになっている。
エネルギーというより、植物の意識。
意思…イボガの愛なのだろうか。
眩しくあたたかく、ハートが開く。
何年も前から、朝4時過ぎから7時前までの間…朝起きる前に、ときおり眠りの波に飲まれながらも、過去の痛みをシータ波の状態で解きほぐしていく習慣がある。
ひとにはそれぞれ、自分の人生ストーリーがある。そのときどきの見方によって、またはどの角度から人生を眺めるかによって、その物語は色あいを変え、登場人物の役割は変わり、じぶんが生きてきた軌跡もまた変わっていく。
ゲーテ曰く、誰でも妄想のひとつやふたつを持っているという。
イボガールにもいくつかストーリーがあって、
そのなかでもいちばんメタレベルの話は、魂レベルのこと。それは、バックグラウンドに流れるプロンプターのようなもので…時折、人生の方向性を示してくる演出家のように語りかけてくる。
サッカーの合間にコーチの話を聞くように。
そんな時に感じるプロンプターは、自分ではなく男性的だ。
その話はまた、おいおいお話ししようと思う。
今朝、子宮と胸のあたりに重さを感じて、両方に優しく手を当てる。眉間に意識を向けて量子瞑想すると、甲状腺のあたりにエネルギー的なしこりを感じた。今度はそちらに意識を当てていく。
先日、暴露療法で小っ恥ずかしいことを告白した。それにはオチがあって…ホログラフィック宇宙論をご存知の方ならお分かりかと思うが、その小っ恥ずかしさを私は、ある人々に感じていた。それは自分自身であったということだ。
暴露療法には、こんなオチがあった。
今朝、量子瞑想後に起きると。その人々についての想いが薄れていた。もっとも、それはやまとごころに触れたときから薄れてはいたが、脳裏に浮かんでも容易に手放すことができた。
関心が減った、という方が近い。
ただ、彼らへの小っ恥ずかしさがまだ消えていないということは、イボガール自身のそれがまだ残っているということ。量子瞑想を続けていこう。
新たな暴露療法もはじまる
今日はまた、イボガからの新たな暴露療法があった。
バウンダリー…境界線の問題。
イボガールは幼い頃、ひとにイヤと言えなかった。
母は自分軸のしっかりしたハキハキした強い人で、彼女の強さに逆らえなかったところがある。
今日、小さな頃に感じていたような、境界線に侵蝕されるようなことが何度かあった。
今風に言えば、マウントに関すること。
イボガ…また、直球のど真ん中。
哲学を学び、いまでは母と同じくハキハキしっかりコミュニケーションするイボガールだが、嫌と言えずにどうにも苦手な弱々しい感覚を久々に感じた。勤務中で、量子瞑想できなかったが。
今日もまた、接種前だというのに暴露療法。
いよいよ接種前のカウンセリングを控え、
先住民族が伝統として長年培ってきたイボガによる変容を迎える時が来た。
精霊と、直接接触することになる日々の始まり…
その幕開けに、厳粛さの混じった緊張を感じている。