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マイクロドージング前に暴露療法が爆裂

暴露療法が爆裂している


イボガールです。
まだイボガのマイクロドージングをする前だというのに、死にたいほど小っ恥ずかしい。

暴露療法が爆裂している。
もちろんイボガの影響だろう。

普段イボガールは、小っ恥ずかしいなんて言葉は使わない。そんな「小っ恥ずかしい」表現は口にしたくもない。

だが、そうとしか言いようがない。

小っ恥ずかしい、が「恥ずかしい」を超えてどうしようもなく救いがないってこと、伝わるだろうか。

以前から、自分のしたことが小っ恥ずかしくて悶絶することはあった。誰が周りにいようとも思わずアタマを振らずにはいられず、気づけばため息が出てしまうようなこと。

どうしようもない話。
馬鹿げた話でよろしければお読みください。

やまとごころに感涙

やまとごころについて知る機会があった。

万葉集の時代、国を護る(守る)ために故郷を出た防人たち。先の大戦で戦地から遺書をしたためて故郷へ送り、はかなく散った若い命たち。

戦争自体については、何も言うまい。
ただ、その和歌や遺書が朗読されたとき…
境遇を恨まず、ただ父母(ちちはは)妻を思い、晴れやかに、すがすがしく、清らかなその心持ちに打たれて涙が止まらなかった。

私欲なく美しく、透明で軽やかだった。
等身大でいながら、とてつもなく尊かった。

おおいなるものの一部として存在する、自分のいのち。おおらかに調和し、和み、万物とともに生きる在り方。大切なもののためには悲壮感すらなく、却って喜んで身を挺する強さと勇気。

日本武尊を救うために我が身を挺した弟橘媛(おとたちばなひめ)のように美しく、優しく、儚く、謙虚でありながら信じがたいほど強靭で高潔なやまとごころ。

10097564 © Elena Marzo Artigas | Dreamstime.com


その境地を感じたとき、その高潔さどころか、はるか低空を飛行する自分の浅はかさや救いようのない馬鹿さ加減に気づき…

仕事で、たいしたこともしていないのに大仰な挨拶を取引先の方にしたことが思い出され。

小っ恥ずかしさ、炸裂。

気がつけば小声で死にたい、と何度もつぶやいていた。必死で量子瞑想をしたが、その恥ずかしさからなかなか集中できない。

本当に死にたいわけじゃない。
ただ、あまりにひどすぎて耐えられない。
なんという小物感。薄っぺら。上っ面。

バグとサバイバル戦略

それは長年、自分が自分に隠し続けて
無視し続けてきたプログラミングのバグ。

いわば自分の裏側。
幼い頃に編み出した、サバイバル戦略。
欲しいものを得るために取る代替行動。

…イボガールには妹がいて、長女の立場から
愛らしく無邪気な妹に対抗して取ったサバイバル戦略は、愛されるよりも正しくあること・優秀であること。

エピソードは省略するが
その戦略は、そこそこ成功した。
だが、愛を拒否した代償は大きくなり
志望校だった大学に入って以降は
毎日が辛くて、何かあるたび自分を責めて
絶えず何かに脅かされている感じ。
朝、普通に起きられなくなった時もあった。

醜いアヒルの子なみに心の中は惨めで
学校に行くのは苦痛で、人に気を使ってばかり。
ひとに対してイヤ、と言えない子どもだった。
心の底から安心できる環境や関係はなかった。
(哲学を学んで救われたことは一部、ある)

愛されることを拒否して、正しいことを盾に突っぱって。不満と怒りを隠し持って。何かを成し遂げないと、存在する価値すらないと戦々恐々。
必死に毎日、何かと戦って生き延び、
毎日必死に何かから自分を守ろうとしている。

じぶんの好きなことの周りをうろうろしても、コミットしきれない。世間的な枠でOKそうな価値観から足抜けしないまま、会社員をしている。そして、違和感と人生の脇役感を感じている。

…やまとごころと、なんという違い。

ただ、在る。その尊さと美しさ。柔和な輝き…
おおいなるものに抱かれた安堵感。
地道にただの自分で在り続ける尊さ。

愛の反対は、無視

前に、zoomライブでこんな話を聞いた。
イボガは長年あなたが無視してきたことを見せる。
愛の反対は、無視であると。

やまとごころに触れて感じたのは
自分は愛を長年無視して拒否して、
無理難題を押し付けてきたこと。
自分にプレッシャーをかけて
相当追い詰められていたこと。

愛ということで言えば
彼氏とかパートナーいますとか
そんなレベルの話ではなく。
いてもいなくても設定は同じ。
もっと根源的な、いのちの話。


やまとごころに触れて、脱力。
脱力しきれてはいないけれど。
ただの自分でいる尊さ。

女手ひとつ、という言葉がある。
今までは1人で女性役も男性役も
こなさなければならなかったのが、
背負わなくていい感じ、
女性役だけで良くなった感じ。

話を伺った帰り、不思議だった。
お店でも電車でも接する男性が
みんな親切で優しくて素敵だった。
不思議なほどイケメンばかりw
どうしてみんな、そんなに笑顔?

…現実は自分が創っている。

あのやまとごころに触れていたくて、今も
桜をこころに留めている。あの儚い美しさを。

イボガではなく、桜w

2020年、流行病の年。近所の桜は例年より早く開花し、例年より遅くまで香りを放っていた。ただ咲いて、人間の免疫にエールを送った桜たち。そうやって植物は、さりげなく人間を助けている。なんという愛。

イボガも人を助けています

これから何が出てくるのか…

地に足をつけて、こころを丁寧に感じていく。

すると胸の奥の鋭い痛みが鈍痛に変わってきた。
そして今日からは、鳩尾の奥にも鋭い痛みが出てきた。このふたつは連動している。

いままで、隠していた意識プログラミングが浮上してきたのだろう。…これからもっと外れていく。

イボガのマイクロドージングを始める前に、もうこんなことが起きてきた…いったい、本当に物質レベルでマイクロドージングを始めたら何が起きるのか。

予想がつかない。

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