遺書
人はいつか死ぬのだから
いつ何時、遺書を書いても構わない。
私はそう思う。
寧ろ、遺書は誰しもが人生の中で挑戦する事が出来る文章作品なのでは無いか、と思う。
さて、私の遺書を始めよう。
猫達
私が死ぬ事を考える時、心残りになるのは猫達の事である。
私にとって家族と呼べる存在は猫達だけだ。
彼らの行き先を探さなければならない。
彼らの行き先が決まらなければ、死ぬ事は許されない。
彼らを幸せにしてくれる新しい家族を見つける必要がある。
それは私の死に至る条件。
お金
お金は少し残るだろう。
現金がどうかは分からないけど
金融資産はある程度残す事になるだろうし
資産価値のあるモノも少しは残せるだろう。
家族がいないから、誰も相続する人間はいない。
ただ私の金融証券、特に株式は、私が企業を応援したい気持ちで買ったモノだから、受け継ぐ誰かにも、そのまま、持っていて欲しい。
そのまま、持っていても、多分、その方が価値があるだろうから、それが伝わる相手を相続先に選びたい。
仕事
今まで本当に色々な人にお世話になった。
私が今、抱えているプロジェクトは終えてから死にたい。
私がいなくなっても、事業自体は無事に進むだろう。
生きている間は、それをさらに強固にしていく段取りを進めていく。
あとは私自身が関わっている社内ベンチャー的な仕事が気掛かり。
成果物を出せるものはどんどん出して、空っぽになってしまおう。
それと今、私を信用して信頼してくれている人達に何かを残せないか、それを考えて行動していきたい。
まだ生きるリソースは残っている。
今までの人生
私は今までの人生を
幸せであったと肯定したい。
生まれてきた事にも感謝したい。
沢山の挑戦の機会も
努力や思考の実行の機会も
その全てに感謝したい。
善い人生だった。
それはハッキリと自分の中で自覚したい。
眠りと死
眠ったまま2度と自分自身が目覚めないとするならば
それは死ぬ事と同じで
私自身、それは日々、試していける。
毎日、死に至り、私自身の中で、それは少しずつ確かなものになり、いつか永遠の死が訪れる。
ベットを死場所にする考えは私にとって、寝室の状況を変化させる。
私にとっての死場所を穏やかでシンプルな終焉の場所として磨く。
寝室の最適化は私にとって死に支度の中で最も大切な事の一つである。
友達
私は友達と話せる事を今のうちに話しておこう、と思う。
友人との会話がこの世に留まる理由にはならないが
かと言って、生きている時間の残りがあるならば
話しておきたい事がある。
感謝の気持ちと、私が彼らに渡す事が出来る情報と。
そこに役に立てる可能性と私の気持ちがあるなら
それは出来るだけ実行されるモノであって欲しいと願う。
罪
私は私に対する罪を背負って生きている。
その重責は私にとって耐え難いモノで
かと言って、私自身が、その贖罪の義務や、重責から逃げる事を許す事もなく
ただ、私自身が潰れて消えるまで
罪を背負って生きて欲しい、と願う。
装置
自死に至る方法は最も苦痛が少なく、確実で地味なものがいい。
薬物注射を行わない中で、最も苦痛の少ないモノを選定した。
あとは実行する段取りと
まさに、それを実行するタイミングの問題である。
私は別に死にたがりではない。
ただ全てを終えた時
私に、その先の人生を生きる勇気がない時に
確実な選択肢の一つを用意しておきたい、と願っている。
独り
死ぬ時、人間は独り。
生きていても独り。
死ぬ時の独りは瞬間に猛烈に寂しくて
生きている時の独りは真綿で首を絞められるように苦しい。
独りでないなら
人は生きるべきだ、とすら思う。
そして、その逆も言える。
独りであるならば、死んでもいい、と。
体
体はまだ使える。
体はメンテナンスもしたいし、メイクアップもしておきたい。
生きている間は、この体を使うのだから
やはり、この体を上手く取り扱っておきたい、と思う。
最後の最後に、この体を使い果たして終わるのも悪くはないが
現代社会において、そのようなシュチュエーションに
これから遭遇するとも考えづらい。
それならば、やはり、私の体も
私自身の死場所の一つとして磨かれておくべきだろう、と私は考える。
感謝
本当に良い人生だった。
本当に色々な物事に恵まれた。
人にも社会にも機会にも
とても良かった。
不満がない訳ではないが
それを、ひっくり返せるだけのスペックは
私自身、獲得出来なかったし、病気になって、それは更に顕著になった。
それでも多くの人々が私を支えてくれて
認めてくれて、大切にしてくれた。
そのお陰で私如きが
この人生に満足している、という心理状態を作り出してくれる。
遺書
終わりを始めよう。
私自身の時間の残りを
私は私自身の手で決めようと思う。
だからこそ、今は前向きに物事を考える事が出来る。
たった一回の人生、たった一回の死。
今、私は人生を推進する力として
「どうせ死ぬ」を使いたい。
それは私自身をあと少し動かすのに重要な要素になる。
終わりに向かって走る時
私は最も力強く走る事が出来る。