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ネフローゼ5年記念?〜泣きながらでも飯を食おう〜

2019年の5月、3ヶ月半入院した。
んで、なんやかんやあって、
3ヶ月半後に退院した。

これを書いている2024年からちょうど5年前の8月11日だった。

飲水制限しているせいで、
汗っかきな自分が、
ほとんど汗をかかなかったことをよく覚えている。
自分の身体が変わったことに気付かされて、
悲しかった。

安心感とか嬉しさよりも、
これからどうすればいいのか分からなくて、
「退院おめでとう」と言って貰っても、
困った顔をしていたと思う。
(マジですいませんでした!)

入院中に始めたのが、行政書士試験の勉強。
無事に?三度目の正直で受かって、
現在3年目。
やりがいと過酷さを噛み締めながら、
やっと「食っていける」レベルになった。
認知度が上がると、色々言われたりもするけど、
tiktokで「頭尖り過ぎ」とコメントされたのは、
未だに納得いっていない。

退院直後に始めたのが、ハウスダンス。
5年もやってたのが信じられないほど、
上手くなっていない。

それでも、周りの人達に支えられて楽しんでいる。
「ダサかろうと何だろうと、楽しませよう」
とひな壇若手芸人マインドで踊っている結果、
たまに褒められたりする。
2024年のネクストハウスラボという200人以上が出場した大きなバトルでは、
ベスト32に選んで貰った。
ただし、終わってから、
インドネシアの女の子のダンサーに速攻でイジられたのが印象的だった。

これまでを思うと、
本当に幸せだし、
奇跡の積み重ねのような日々だと思う。

それでも、
慣れというものは怖いもので、
怠惰な時間を過ごしたり、
周囲への感謝や敬意を忘れたりもする。
ついでに薬を飲み忘れることも多くなった。
ベタな「老人あるある」を36歳でモノにしている。
(毎日飲み続ける薬!)

それもこれも含めて、
自分の欲しかった未来なんだと思う。

何かを手放せば何かが手に入ることは間違いなくて、
仕事にコンテンポラリーダンスに人間関係に、
あらゆることを手放したことで、
多くのことを手に入れた実感を持てている。

以前、とある人と仕事の話になり、
「何のために働いてるの?」
と本質的な質問をされて、
「自分を救うためです。」
と答えた。
バッキバキにマジな俺の目を見て、
相手は少し困っていた。
多分、質問の意図とは違ったからだ。

でも、少し前に流行ったyoutubeのタイトルみたいで、
軽薄さとシリアスさのバランスが気に入った。

答えた時は、
自分でも意味が良くわからなかったけど、
仕事→身体を壊すレベルまで必死に働いていた自分が報われて欲しい
ダンス→病院のベッドで絶望し切っている自分に笑って欲しい
と、
確かに、
病気になってからの5年は、
徹頭徹尾「自分を救うため」に生きていたと思う。
苦し紛れの返答も、
かなり核心を突いていた。

さ〜て、これからどうしよっかな〜?
と呑気に構える余裕は無く、
仕事はまだまだ目標を達成出来てないし、
ダンスもまだまだ下手なまま。
病気は…まぁ何とかなるし、何とかしよう。

bupponさんというラッパーの、
「泣きながら飯を食える奴は生きれる」
というリリックを聴いた時に、
これまでの自分が救われた気がして、
胸がスッと軽くなった。
(歌詞もMV本当に良いので、是非一度)

入院していた時に、
これ以上生きててもどうしようも無いなと思って、
食べず飲まずで過ごしたことがあった。

二日程経ってから、
担当医の先生が、
「数値が悪化してるので、点滴します!あと、これ飲んで下さい!」
とエンシュアリキッドという、
クソマズい飲み物をほぼ無理矢理飲まされた時に、
死ねないのも辛いな〜と、
デッドプールの気持ちに寄り添ったことも、
よく覚えている。

この記事のサブタイトルは、
「泣きながらでも飯を食おう」なのに、
「半笑いでエンシュア飲んだ」になったのは、
理想と現実の狭間で生きる難しさを痛感する。

とにかく、ここまで読んだ人は、
仲が良い人や、気に掛けてくれている人で、
本当にいつもありがとうございます。
すっかり元気です。

もしくは、同じ病気の人だと思う。
頑張っていると思うので、どうか無理せず。
リスペクトとエールを送ります。

死に物狂いの5年も楽しかったですが、
こっから先も死に物狂いでもっと頑張ります。
必死に仕事をして、
バカみたいなダンスをします。

とりあえず、どんな辛いことがあっても、
泣きながら飯を食おうと思う。
ついでに、いつか自分も救えますうに。
それではお身体はお大事に。
どうか健康で。

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