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最近の記事

認知症11

認知症と言う病気だとわかっていても日々の口論は絶えない 最近は認知症の親と無理心中する人の気持ちが痛い程わかる 「やらないでくれ」と言う事はやり 「やってくれ」と言う事はやらない 見事な逆張りで言葉もない ことごとく期待を裏切られるから病気だと言う事を忘れてしまって 正論を発しても相手には届かない 食べた事を忘れて日に何度も食事をしようとするので 「何時に何を食べたか書いておいて」 絶対に書かず 「デイサービスって何?」 ・・・・・ デイが無い日に一泊のショートステ

    • 認知症10

      投稿するのは1年振り(途中に子猫の話題を書いたが削除) 家事は任せられる事がほぼ無し。 食後の洗い物だけはやらせているが、相変わらず食器類を仕舞う場所がいつもバラバラである。 夏からやっとデイサービスに週2回行き始めて皆勤賞で今年を終えたが、来年からは週3に増やして入浴も依頼してある。 母の脳内ではデイサービスを仕事(職場)だと思っていて、行かない日にも徒歩で行こうとして途中で道が解らなくなり、携帯を持って行ってくれているので助かっているが、通りがかりの人が電話を掛けて来

      • 認知症9

        アルツハイマー初期 と診断されてから1年と少しだが ここまで進行が早いとは思わなかった 昨年は私以外にもう一人誰かが家に居るという妄想があって 治まったと感じていたのだが 最近また出て来ている 母に任せられる数少ない家事 ①洗濯 最近は干すのを忘れてしまうようになった 洗濯機スタート時点を見ていないのでわからないが 洗濯後も臭うので洗剤を正しく使えているのかがわからない(数か月前に柔軟剤だけで洗濯していた事があった) ②食後の洗い物 入浴時間もそうなのだが洗浄時間が長

        • 認知症8

          物盗られ妄想を緩和出来るかと思い母の寝室にカメラを付けた 極度の不眠なので母が寝るのを確認するのが容易ではない よって私の入眠時間も遅くなる訳だが 前日に何度も説明してホワイトボードにも書き 出すゴミ袋はわかるようにして母にゴミ捨てを頼んでいたのだが それも理解出来なくなってしまい収集日とは異なるゴミを出してしまった 来週から深夜に私が出すしかないのだが 普通のゴミは鳥獣に荒らされないようにしてあるゴミ置き場でも コンテナに入れるだけの不燃物(空き缶)は深夜だと音がするし

          認知症7

          母の症状で一番困るのが 『物盗られ妄想』 物忘れなどは取るに足らない(幾らでも話を合わせられる)が 同居している唯一の私以外の人物を名指しで 「〇〇が留守中に入って来て☐☐を盗って行った」 「また〇〇に盗られた」 これをほぼ毎日言われると結局口論となり 「私が出て行く」 「人を邪魔者扱いして」 これのループ 最近は元から無い物を盗られたと言い出すので余計に口論 「ベッドサイドにあった温度計が無い 元は4個あって3個盗られたのを黙っていたが最後の1個が盗られた」 最初から

          認知症7

          認知症6

          母は強度の不眠症もあって月1で通院している病院のドクターに 「近所のかかりつけ医にも色々な眠剤を処方してもらいましたが効果は全くありません」 と言うと 「〇〇を試してみますか?」 〇〇は数か月前に先生が処方して効果無かったので別の薬にしたのですが・・・ 信頼出来る医師に巡り合うのは難しい

          認知症5

          処方される薬が変わると症状も変化するので 医師にその旨を伝えて再度処方を変えてもらったりするのだが 効果を感じられないばかりか記憶力の低下を思い知らされる毎日 最近は 『元気な認知症』と『頭はしっかりしているが寝たきり』 どちらが良いのだろうなどと無意味な事を考えたりしてしまう

          認知症5

          認知症4

          家族が認知症と診断された親戚のパイセンは 「子供に返っている感じ」 と表現していたが正にその通り しかし 子供は成長出来るが高齢者が子供に返ると衰える一方で希望が持てない 本人はデイサービスに行く気が無いと言うし昨年認定された要介護1では調べた限り何の役にも立たない 夜通し探し物をして翌日には 「○○が無くなった ○○に盗られた」 と言われて半年以上が経つ それだけではなく 「留守中に○○が入って来ていたずらをされた」 「家の中に土を置いて行く嫌がらせをされた」 等々

          認知症4

          認知症3

          半年の出来事 脳外科より先に予約してあった物忘れ外来を受診しMRIと認知テスト 認知テストには私も同席したが脳外科の密室10分よりかなり濃密なテストを受けたと思えた MRIの結果は海馬の萎縮でアルツハイマー初期(脳外科と同じ診断) 脳外科で処方された薬を服用させていたが余計に酷くなっている気がすると医師に伝え違う薬を処方される テストの結果は同年齢の平均より各科目が低かったので認知症であることは間違いないと実感 数日に1度の割合で出るのが 『物盗られ妄想』 これの対応が

          認知症2

          母は毎日 「〇〇が無くなった」 と言って来る。 物を無くした時に見付けるグッズを入手したので、以前よりは探す時間が短くなったが、それでも一苦労である。 今朝はここにあった 昨日はここにあった それが今は無いのだと言う。 ただ無いだけでなく 「〇〇(実在の人物)が盗った」 と信じ込んでいるのがキツい。 盗られたと思い込むのは認知症の典型的な症状らしいが こんな物を誰が盗る? と言う私にも疑惑の目を向けるので疲れる。 家族が壊れて行くのを目の当たりにする辛さは当人以外に知

          認知症2

          認知症

          母が認知症(アルツハイマーの初期)と診断された。 今年に入ってから物忘れが多く、探し物(自分で隠した場所がわからなくなる)を繰り返すので脳外科を受診したのである。 MRIは20分ほど掛かり、その間じっとしていられるか不安だったのでCTにしてもらい、結果的に脳に異常は見られず年齢相応だったが、認知テストで20点以上が合格のところ19点だったそうで上記の診断となった。 これが適正な診断なのかは自分に判断する事は出来ないが、進行を抑える薬を服用開始した。 しかし、症状が酷くなっ

          追憶7(小学生時代終盤)

          2年の途中から転入した学校にも慣れて、クラス替えも無く友人も増えていた4年時に父の勤務先が移転するとの事で、再度転居、転校するのだが、同じ関東圏でも他県で、それまでの環境とは違い公共交通機関も少なく大人は自動車が無いと不便な土地だった。 念願のマイホームに2年と数ヶ月居住しただけだったが、売却しないと転居先の家が購入出来ないので同じ勤務先の人に売ったらしいが、バブルの頃には10倍以上の価格で取引されているなどとは、この頃の父は想像もしなかったであろう。 商売っ気があれば、一

          追憶7(小学生時代終盤)

          追憶 番外ワンコ(柴犬)編

          父が当時2~3万円で買って連れて来た柴犬の子犬は雌だったが、立派な血統書も付いていた。 後に検証したところ、産まれた日と飼い始めた日の成長度合いに差があり過ぎて、胡散臭い血統書だった。 当時から狂犬病の予防注射はあって、受けると首輪に着ける鑑札?があったと思う。 1回目は何も知らずに終えたが、2回目からは(学習?痛みの記憶?)注射会場に近付き白衣の人物が見えた時点で一歩も動かなくなった。 今思うと、遠くでも薬品の匂いで解ったのかも知れない。 リードを引っ張り連れて行こうとす

          追憶 番外ワンコ(柴犬)編

          追憶6(昭和40年代後半)

          隣の市に転居して父の初めての庭付き一戸建てに住み始め、柴犬の子犬も飼い始めて1年後、弟が産まれた。 私が小3だったから9歳年下の弟である。 当時としては年が離れた弟だった気がする。 2年の学期途中で転入して来た小学校で、私を『九九の横綱』と名付けた担任はベテランの女教師だったが、3年生に進級したタイミングで異動だったか退職だったかで、新たに担任になったのは新卒の女教師だった。 徳島県出身との事で、阿波踊りが徳島の文化だと教えられ、未だに徳島イコール阿波踊りが刷り込まれて

          追憶6(昭和40年代後半)

          追憶5

          小2の途中で隣の市に転居。 それまでは社宅(と言っても当時ではまだ珍しい鉄筋アパート)だったのだが父の初めての持ち家一戸建てである。 父の勤務先が用意した分譲地だったので、社宅の時と同様に町内は同じ企業に勤務する人達だった。 小1から習っていた珠算で九九は既にマスターしていたが、転校先の算数で教師が九九の書いてある紙を1枚手に取り、その答えを誰が早く言えるか?みたいな授業があって、転校早々『九九の横綱』なる称号をいただき、後ろの黒板にでかでかと名前を書かれた。 珠算に追加

          追憶4

          弟の命日とどちらが先だったのかわからないが、小2のある日に同級生が白血病で亡くなった。 当時の白血病なんて小2ではどんな病か知る由もなく、担任が言った『血液のガン』と言う説明も理解出来ていなかったと思う。 彼は自宅からすぐの場所に住んでいて、小学校入学時に同じクラスになり一戸建ての立派な家に一度だけ遊びに行った。 その後に入院して2年になった際に病欠のまま同じクラスになったのだが、一度も登校することなく亡くなった。 クラスでは彼を知る人物が私しか居なかったと言う理由で告別