
『ドキュメント 異次元緩和 10年間の全記録』
『ドキュメント 異次元緩和 10年間の全記録』西野智彦、岩波新書
個人的には早期退職する前に、まだ一生懸命取材していた頃の過去を改めて振り返らせてもらったような本でした。
にしても、黒田総裁が異次元緩和を発表した2013年4月4日、ドル円は92円台後半だったんだな、と。安倍政権だけで、就任前の78円からいったん95円まで戻したわけなんですが。
著者は時事通信出身のジャーナリストで異次元緩和に関しては批判的な立場のようですが、ぼくは白川総裁時代の小出しの政策に不満を募らせていた企画ラインの方々のように、毒にも薬にもならない政策を続けるよりも、思い切った方向転換を図った異次元緩和は、偉大なアベノミクスを支えた大きな土台だったと思います。
個人的になるほどな、と思ったのはマイナス金利のあたり。本書は異次元緩和、マイナス金利、YCCと非伝統的金融政策を深掘りしていく過程を描くのですが、個人的にはマイナス金利が一番の衝撃でした。
長い社会人生活のほとんどの時間、「インフレは悪」だと思っていたのでインフレターゲットなんか危険な火遊びとしか考えられなかったし、ましてやマイナス金利などは想定外のことでした。そうした中で黒田総裁はマイナス金利を打ち出しました。
その時点では景気動向だけでなく為替にかかっていた圧力も打ち返す凄い戦術だと思ったんですが、あまりうまくいかなかった印象です。異次元緩和、マイナス金利、YCCを勝手に評価すると異次元緩和は良、マイナス金利は可、YCCは優みたいな評価になるのではないかと思っていましたが、この本でよく読むと、マイナス金利には出口戦略開始前に当座預金を減らしておく,という役割もあったんだと理解できました。
それは以下のような流れだと思います。
・異次元緩和の出口では、まず日銀当座預金に付利している金利水準を引き上げることで短期市場金利を底上げし、長期金利についても「二%水準に見合ったレベル」に誘導するため日銀のバランスシートを適宜圧縮していかねばならない
・当座預金のうち「超過準備」に〇・一%を付利する「補完当座預金制度」が導入されたのは白川方明総裁時代。金融機関にとっては確実に〇・一%の収益を生み、しかもリスクのない運用先は少ないため、実需を伴わない「過剰なマネー」は自動的に当座預金に積み上がっていた
・しかし、当座預金が二〇〇兆円を超えると、〇・一%といえども金融界に年間二〇〇〇億円程度の〝補助金〟を与える計算になる
・マイナス金利には利下げ効果とは別に、当座預金を減らす効果がある。これをうまく使えば「量の正常化」、つまり異次元緩和の「出口への第一歩」に使えるという着想が出てきた
・福井時代に量的緩和解除の実務を担った中曽副総裁は、「リザーブ[当座預金]が大きくなりすぎると出口から出られなくなる」とバランスシート圧縮の必要性を口にしていた
・国債を「もう一単位」売った場合に入手できる当座預金だけにマイナス金利を適用すれば、それを起点に市場金利は形成されるようになる
・一方、大手の証券会社と信託銀行はMRFの元本割れを引き起こす恐れに頭を抱えていたので、MRFをマイナス金利の適用対象から除外する特例措置を決めた
となります。
リフレ派の論客は安倍総理に「戦争をしないでデフレをインフレに変えた最初の宰相になれますよ」と異次元緩和の必要性を説きましたが、結局、国内物価を二%レベルに押し上げたのはコロナ禍をへての円安と原油高でした。しかし、企業収益は10年間でほぼ倍増し、日経平均株価は一万二〇〇〇円台から三万円台にまで上昇する一方、失業率は2%台半ばに低下し、新規雇用者は四三〇万人ほど増えたのは事実です。
この成果は黒田総裁の「出し惜しみするな」「戦力の逐次投入はしない」「やれることは全部やる」という方向性が経済の期待値に働きかけたものだと思います。しかし、当初五兆円でスタートした量的緩和は、五〇〇兆円超に膨らんだことも事実。植田総裁の「撤退戦」もしっかり見ていこうと思います。