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『情熱でたどるスペイン史』池上俊一

『情熱でたどるスペイン史』池上俊一、岩波ジュニア新書

スペイン史ってナショナルヒストリーの横綱大関みたいなフランス史やイギリス史と比べると格下感がいなめないというか、あまり詳しくないのですが、今度、劇団が20世紀初頭のスペインを舞台にした作品をかけるというので、『世界史総合』の流れで推薦されている副読本の多い岩波ジュニア新書から出ている『情熱でたどるスペイン史』でも読んでみようと手に取りました。

イベリア半島は地勢的・地史学的に国土の半分以上が標高700メートルほどのメセタ(中央大地)で占められ、フランス国境は標高3000メートルクラスの山を抱えるピレネーがあるなど閉ざされた地域でしたが、ローマ帝国に属州と組み込まれた頃からイギリスと同様、有史時代となり、ラテン語も広まります。

ローマ滅亡後は西ゴート王国となりますが、イスラム勢力によって崩壊。コルドバのメスキータ(モスク)はメッカに次ぐ大きさを誇るほどで、キリスト教勢力は北部に押し込まれますが、ここから800年にわたりレコンキスタが展開されることになります。そして文化的にはユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒の混淆した学問・芸術がつくられ、ギリシャ語文献もアラビア語を通じてラテン語に訳され、西欧に知られるようになる、と。

しかし、スペインのキリスト教勢力の封建制は人格的従属意識が希薄で、王が税金以上に金銭が必要になった時は身分を代表者によるコルテス(議会)の承認が必要なほどでした。爵位を持つ大貴族は一握り。ほとんどは小貴族=郷士で、誇りだけを胸に自由に生きていたし、王でさえ庶民的でした。こうしたところからも情熱の発露としての名誉を重んじる気質が生まれた、と。

やがてカスティーリャがイベリア半島をほぼ統一した後、ユダヤ人改宗者であるコンルベソを迫害する異端審問が行われるようになりますが、これを進めた初代長官トマス・デ・トルケマーダもコンルベソでした。

カスティーリャでは長子限嗣相続制が確立していたこともあり、次男以下の男子は新大陸での成功に憧れ冒険に出てコンキスタドールとなりますが、ほぼ時を同じくハプスブルグのカール五世が即位。続くフェリペ二世はスペインの黄金時代をつくり、それまでの連合王国をカトリックによって統合しようとします。こうしたカトリックへの純化はコンベルソであるベラスケスなどにも影響を与え、純血の証明のために必死に努力を行うほどだった、と。

フランス革命とナポレオンによる征服などを経て、王権はゆらぎ、スペインは伝統主義と自由主義に分断。フランコまで続くプロヌンシアミエント(軍事蜂起)の時代となります。南米はリベルタドーレス(解放者)に率いられて独立、スペイン帝国は崩壊。国内形成も地方の政治・社会を牛耳っているカシーケ(大土地所有者のボス)に阻まれ、中産階級が育たないまま古い貴族・大ブルジョワとプロレタリアートが対峙する構造だった、と。大統領がころころ代わった第1次共和制の後、王制は復活したものの、米西戦争で敗れてキューバ、プエルトリコ、グアム、フィリピンまで奪われます。

カタルーニャーもバスクもカスティーリャと混淆する中で自己形成されていった部分があるのに、スペインではドイツやイタリアと違い、国民創造が進むと地域主義に火がつくという不思議さはあります。そして、内戦とカトリック・ナショナリズムを掲げるフランコの時代をへて、やっと1980年代にEUとNATOに加盟、現在に至る、と。

《スペイン史の主役は、イギリスのように王様やジェントルマンでも、フランスのように貴族やブルジョワでもなくて、一貫して「民衆」》、リアーガは《フランス人が「思考の人」、イギリス人が「行動の人」であるのに対し、スペイン人の最大の特徴が情熱の「人」》と書いているそうです(p.232)。

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