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『100兆円の不良債権をビジネスにした男』川島敦

『100兆円の不良債権をビジネスにした男』川島敦、プレジデント社

 ぼくは不動産は自宅しか買ったことがないし、ビジネスにしようとは思っていませんが、以下の東洋経済書評欄を読んですぐ発注しました。清原本に続いて、個人でいろいろやっている方なら読むべき本なんじゃないでしょうか

 《当時、日本の不動産市場に利回りなんて概念はなかった。買い手は主に転売目的の不動産会社や自社ビルが欲しい事業会社で、テナントはむしろ邪魔。バブル期の取引には土地の値上がり期待こそあれど、賃料収入を見る人はほぼいない。米国流の投資手法に衝撃を受け、自分も経験したいと思った》というのは、バブル期、PERなんてことも考えずに株をやっていた、自分を含む日本人の姿を思い浮かべます。
 自ら特定目的会社をつくってボロ儲けして、資金が足りなくなったから上場したけど《上場によって資金を調達「しすぎた」ことは確か。潤沢な資金を元手に、自己勘定での投資を拡大するようにな》り、そこにリーマン危機が襲ってきて、一転窮地にというあたりは、ライブ感に溢れる。
 楽観しすぎていたわけではないけど、BSを広げすぎると、あるタイミングで急な暴落に巻き込まれるというのは自戒しなければ…。

 特定目的会社(SPC)をつくった後は借り手の返済義務の範囲を限定した融資ノンリコースローン(非遡及型融資)を引いてもらう、と。《出資金(エクイティ)はSPC(当時は有限会社=YK)に匿名組合出資(TK)や劣後ローン(高い金利収入を得られる代わりに返済順位が低いローン)を出す。以上、何を言っているのかよくわからなかったが、とにかく言う通りにする。これが、後々ファンド業界のスタンダードになるYK-TKスキームだった。この他にも税効率(Tax Efficiency)などを考慮していくつかのスキームが生まれた。
 こうやっていわゆる倒産隔離をする。スポンサー企業(本件の場合、ケネディクスのこと)が倒産しても、このSPCには他の債権者は近寄れないようにする。米国の考え方はすごい。その後、合同会社(GK)法の改正があり、有限会社は廃止になったので、現在はGK-TKスキームが主流になっている。米国は個人の住宅ローンもノンリコースローンになっていて、仮に借り手が失業して、住宅ローンが返済できなくなったら、自宅の鍵を銀行に届ければそれで一切終了》というアメリカの考え方はすごいな、と。《日本であれば、トラブルになった時には「信義誠実の原則に則り誠意をもって協議しましょう」という慣習だが、米国は想定しうるトラブルを契約書に落とし込むという文化の違い》を実感しました。

 あと、90年代末になってもデューデリジェンスという発想がなかったという証言も貴重。バカな世代論者が「今の60代の人間は高度経済成長でも頑張らなかったし、バブルに乗っただけ。70〜80代の人間には年金手厚くしてもいいけど、それより若いのはタダノリ」とかアホなこと言っているが、デューデリジェンスもやらずに不動産取引をし、バリュエーションも分からずに株式投資して大失敗したのは、戦後復興やったり、高度成長時代にアメリカの真似していただけの奴らなんだよな、というのがよくわかります。

 さらに、個人的に経験してきた日本経済の歴史について、苦手というかあまり関係してこなかった不動産という視点からも振り返らせてもらってます。例えば初期の大手テナントだった東京テレメッセージが潰れたあたり。東京テレメッセージは日本テレコム(JR系)と東電などでつくった会社なんですが、リストラを進めていた新日鐵からJR系に出向した人が、東京テレメッセージに再出向、そこで倒産して、今度はどっかの新日鐵の子会社に飛ばされたというのを思い出しました。バブル崩壊では、こんな無駄を無駄な時間をかけて処理していくプロセスが続くんですよね…。《最大のテナントであった東京テレメッセージというポケベルを運営する通信会社が倒産したのだ。社会インフラだったはずの通信会社が倒産するなんて……。全くのノーマークだった。しかし考えてみれば当然だった。通信、ITは変化が激しい。コンピューターの大きさが3年で3分の1にダウンサイズされる時代に、ポケベルだけが例外であるはずはない。かつては高校生中心に流行っていたが、もはや高校生はピッチを持ち歩き、ポケベル人口は減少の一途。時代の流れだった》と(k.434)。

 個人的な話しを続ければ、銀行からの天下りはいろいろみてきましたが、長銀からのが一番酷かった。天下り先でも不況下でコスト削減が叫ばれていたのに「海外出張ではファーストクラスしか乗ったことがない」と言い張って部下を困らせていたりして…「こいつら最低だな」と思ったら潰れたけど、そいつはしぶとく生き残っていろんなところを渡り歩いて驚きました。コネなんですかね。でも、能力はなさそうだったから、そんなのが集まっていた長銀はバブル紳士に潰されます。《雑貨商といってもいい程度の会社だったが1983年、高橋治則は38歳の時にEIEの社長となると、これを受け皿に日本長期信用銀行(以下長銀)から融資を引き出して事業を急拡大させる。日本やアジアの不動産を次々に買収し、膨れ上がった総資産の額は1兆円超》《戦後日本の産業育成を担い高度成長をけん引してきた長期信用銀行の一画にあった名門、長銀が一介のバブル紳士によってあっけなく破綻》するわけです(k.533)。

 こうしたバブル紳士たちとは違いケネディクスは《土地から上がる収益をもとに土地の値段は決まる。土地の上に立っているオフィスの賃料は坪(3・3平方メートル)あたりいくら、延べ床面積はどのくらい、共用部分を除いた賃貸面積がどのくらいで、年間いくらのお金が入るから、このビルの価値はいくら、あるいはこの土地の価値はいくら、と算定される。それが普通だ。不動産から上がった収益は不動産に投資した投資家とアセットマネジャーに約定通り分配される。ケネディクスのような不動産のアセットマネジャーがバブルが崩壊した後に、米国から学び、取り入れた》と(k.584)。

 それにしても、大蔵省を初めとする霞が関のバブルへの対処もオソマツでした。《1991年も1992年も1000社以上の中小不動産会社が倒産した。もちろんその後も倒産は続々。しかも倒産1件あたりの負債総額が巨大化していった。政府も慌てて公定歩合の引き下げを始めた。1990年には6%だった公定歩合を段階的に1995年にかけて0・5%まで下げた》けど焼き石に水(k.786)。《結果的に2000年代まで引きずって最終的に金融機関が処理した不良債権の処理額は、100兆円を超えたといわれている》(k.795)。

 グローバルで見ると「持つ経営」「持たざる経営」どちらが優位かは、不動産の商慣習による、というのも面白い視点だと思いました。土地神話が生きていた時代までの日本ではダイエーのような「持つ経営」が強かったのですが、バブル崩壊後はヨーカ堂の「持たざる経営」が勝ちます(現状は別な要因で苦戦していますが)。一方《香港では不動産のオーナーの権限がとても強く、景気動向次第で家賃を30%、40%も値上げ要求できる。一等地に出店していた日本のデパートは利幅が薄いので賃料負担に耐えられず次々に撤退していった。持たざる経営の弱さである》ということもある、と。

 日本国内でも商習慣がこれほど違ったのかと驚いたのが大阪。《東京には違法物件はそれほど多くないが、大阪にはものすごい量がある。地元の不動産会社何社かに「違法物件でも売買されるのですか? 流動性はどれくらいありますか?」などとヒアリングして回った。その結果、違法の程度によっては融資する金融機関がいくつかあることがわかった。例えば、容積率が法定の20%オーバーまでの違法物件なら融資可能、など。東京ではあり得ない商習慣なので非常に興味がわく》(k.1062)。

 《日本の不動産を買い占めようと米国マネーが日本市場に乗り込んできたのは、1997年頃から。最初の頃は水面下だったが実に活発だった。米国は不動産ファンドをテコに参入してきた》(k.881)あたりからのライブ感も凄かった。《買い進めたのが海外の不動産ファンドだった。当時隆盛を極めたファンドはゴールドマン・サックス、リーマン・ブラザーズ、モルガン・スタンレー、メリルリンチ、サーベラス、ローンスターなど。米系の錚々たるメンバーで》《日本全体で見るとAUM*1は2000年頃から急拡大が始まった。2007年には20兆円超に成長、2023年現在は50兆円以上にもなっている》(k.948-)

 タワー投資顧問を率いる清原さんが2回もケネディクスの経営に大きく関わっていたことも驚きでした。大証上場の頃は60%以上を保有していた米国親会社が全株をタワー投資顧問に売却した、と。《ケネディクスの60%の株主になった清原氏が運営する日本株式ファンドの投資家は、日本中の中小年金基金だった。清原氏はその投資家たちをケネディクスにも紹介してくれた。年金基金も従来の株や債券だけでなく、不動産ファンドのようなオルタナティブ投資もすべきだと言ってくれたのだ》(k.1242)。清原氏は新株発行での資金調達にも参加し《株式投資家なので社債は保有していなかったが、「ケネディクスが新株を発行して、生存者利益を貪るのなら大口で買ってもいいよ」と大量発注してくれた》そうです(k.2511)。

 金融庁と銀行の生々しいやり取りも印象的。《ケネディクスのリートに融資をしてくれていた、ある銀行が同様に「今回はいったん返済してください」と言ってきた。しかしこれは銀行としての〝ポジショントーク〟だったのだ。同日、その銀行の担当者が再びやって来て「申し訳ありません」と言いながら、こう教えてくれた。「川島さん、よろしければ金融庁に電話してみてください。もしかしたら道が開けるかもしれません」 そこで、すぐに金融庁に電話して事情を話し、その銀行を止めてくれるようお願いしたところ、2日後に本当に止まったのだ。ほっとして胸をなでおろした。日本の金融秩序を維持するため、金融庁はあらゆる手を尽くしてくれていたことがわかった》(k.2373)というのには驚きました。

 リーマンショック後は資金調達の話しが中心になってくるのですが《大阪でSPC(特別目的会社)を使って小林製薬の本社が入居予定のビルを開発し、竹中工務店により完成しつつあったが、残工事代金を払えないという事態が発生していた。そこで、残工事代金相当額を竹中工務店からSPCに出資する形にし、将来売却した時に返済するという技を開発担当の社員が考えてくれた。これはすごいと思った》(k.2471)。

最後のあたりの《昨今、中国の大手不動産会社のデフォルトが取り沙汰されている。これが日本の金融市場とか不動産市場にネガティブなインパクトがあるのか、ないのか、頭の体操が必要》というのは気にかかりました(k.2770)。

*1受託資産残高

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