休職して米国経済PhD課程に進んでみたら思ったより上手く事が運んだ1年間の話

 人生が一旦行き着くところまで来た感じがあるので、記録を残すためにもブログはじめます。

 今回は2023年度のお話(何を思ってそういう選択をしたのか、どういう状況で生活していたのか、とかについて)。


なんで私が米国経済博士課程に?

 「経済学オモロい!もっと極めたい!!」という思いは学部3年でゼミに入ってしばらく経った頃くらいから持っていた記憶があるものの、実際にはかなり回り道をした。具体的には、

  • 東大文Ⅱ→経済学部と進んだものの学部卒業後に東京で就職

  • 東京で4年間働いた後、2年間UW-Madison(ウィスコンシン大学マディソン校)の経済学修士課程に留学

  • さらに東京に戻って2年働いた後、休職してUW-Madisonの経済学博士課程に留学(今に至る)

という流れ。学部生時代は、周りで経済PhDに行く人間は天才ばかりだと思っており、自分がそのステージにいるとは全く感じられなかった。一応就活と並行して院試に向けた準備もしていたが、やはり自分が院進して成功するイメージが持てなかったため諦めた。

 ただ「経済学の知識や技術がある程度活かせる場所で働きたい」とは思っていたので、そういう感じの仕事を探し、運良く採用されるに至った。また、この職場では修士への留学という道は広く開かれていたので、最低限そこまでは行こうと思っていた(そして実際にそうした)。


 個人的にはこの修士で留学したときに潮目が変わった思っている。修士用のコースワークではかなり良い成績を取れることが複数回あり、「あれ、ひょっとして自分そこそこできる?」と感じる瞬間が増えた。また、(厳密には修論ではないが)修論的なペーパーを書くという必修の授業があり、これのアイデアを考えて指導教官(というか単なるアドバイザー?という感じだったが)と議論をしたり実際に手を動かしているときなどは「経済学の研究、面白い!」と今まで以上に思うようになった。せっかくの人生だし、挑戦するだけならそこまでコストもかからないのでやったるか、という気持ちが留学中に固まっていった。

 また、修士課程を通じて実証が面白いと思うようになったことも大きな変化だった。学部生時代はどちらかと言えばミクロ(ゲーム)理論に注力しており、また当時受講した学部生向けの計量経済の講義が正直酷かったこともあり、留学前は実証にほとんど興味がなかった。他方、UW-MadisonのMasterの計量コースワークはとても上手に構成されており本当に面白く、ここで一気に実証に興味を持つに至った。さすがは「エコノメに力を入れています!」とHP上で書いているだけのことはある。

 これに触発されてエコノメはPhDのコースワークを取るなど結構時間を掛けて勉強したし、修論的なペーパーも実証メインで書いた(これもまた面白かった)。


 修士を終えて帰国した後は、チャンスを見つけては出願準備を試みた。帰国後最初の年は有り得んほど仕事が忙しかったのでほとんど何もできなかったが、次の年はそこそこの忙しさだったので出願準備に手を付けることができ、合計10校程度に出願した。ちなみにこの年のクリスマスにGREを受けて、Quantitativeで170点を取ったのをやたら鮮明に覚えている。

 職場に対しては、このような動きをしているのを定期面談の場などで何となくは伝えていたが、正式に休職したいという意思を示したのは実際に合格通知をもらった後にしてしまった。このため人事部署からは「いやもっと早くから明示的に言ってよ」とちょっと苦言を呈された(それはそう)。本当にすみませんでした。。。

1年目の運ゲーに大勝利

 そういう訳でめでたくオファーをいただき、2023年の7月末に休職してUW-Madisonの経済博士課程に留学する次第となった。この1年間、もちろん辛いことや大変なこともあったものの、今振り返ってみると驚くほどスムーズに物事が進んだと感じている。自分で頑張ったと思える場所もあることにはあるが、それ以上に運に恵まれていたという印象。

1. 2023年、夏、休職

 休職のタイミングはある程度自分で決められる状況にはあったが、職場には博士を取った後もお世話になる前提であり、なるべく迷惑はかけたくないという思いから、7月末までフルタイム働き、その後出国日(8/11)までの間にアパートの引き払いやら何やらの出国準備を全て終える手筈で計画。

 今振り返るとバカみたいなスケジュール感だなと思うが、修士で留学したときに一度似たような内容を経験していたのと、その当時はもっとギチギチだったという点があり(同じように7月末までフルタイム労働、8/5(!)出国)、今回は相対的に余裕だった。

 他方、出国時点で米国での住居が確定していなかったという問題があった。この年はMadisonの住宅供給が逼迫しており、私は4月からずっとポータルサイトを利用して住居を探していたが、キャンパスに不自由なく通えるエリアにはほとんど空きがなかった。ポータルサイト上は空いている物件に問い合わせても、「あ、ごめん埋まってます」という連絡が返ってくることが大半という始末で、そもそも連絡が返ってこないこともしばしば。この時に主に使用していた某ポータルサイトは二度と使わんと心に誓った。

 それでも何とか空いていた3件の部屋のWeb内見と入居申請は日本にいるうちに済ませ、あとは向こうの審査結果待ちという状況まで漕ぎ着けて出国。幸いにもアメリカ到着後すぐ、申請していたうち1件の大家さんから入居OKの連絡が来て契約を行うことができ、結果として約1週間のホテル暮らしの後、無事現在のアパートに入居することができた。

 Math campについても色々と思うことがあったので、気が向けば別にまとめたいが、特に8月中は「ようやく念願叶った」という思いで気分がかなり上向いており、めちゃくちゃ集中して数学に取り組むことができていた。

2. 年単位のフルタイム労働を挟んでコースワークに適応できるのか

 最初の滑り出しは何とか上手くいって、次の問題はコレ。修士のときに履修していたコースワークの一部は取らなくても問題ない、ということは学部事務に確認していたが、2年強のブランクがあって不安だったので、それらも全て再度履修するか聴講するかした。

 フルタイム労働を間に挟んだことで苦労したこともあれば、別にそのブランクがほぼ気にならないものもあった。主な感想としては、

  • タスクは多いが仕事しているよりマシな部分が多いので、忙しさ自体は特に苦にならなかった。他方、「ずっと何らかのタスクを抱えており、土日も課題などに追われる」という状況は仕事にはない辛さがあり、各学期の最後の方は息切れしていた感じがあった

  • ミクロとエコノメは結構できた。これらは仕事で扱う機会があったのと、修士時代にそれなりに力を入れて勉強していたのがデカい気がしている

  • 他方でマクロは悲惨だった。学期中の試験の成績はクラスの下位25%に入ることがしばしば。プレリム(後述)は一発で通ったが割と奇跡だと思う

  • 学部(特にゼミ)で学んだことは驚くほど記憶に残っていた。特に契約の経済理論(学部3年前期のテーマ)と進化ゲーム(学部4年前期のテーマ)はミクロのコースワークでも扱われたが、当時の蓄積のおかげでよく理解できた

  • 個人的に感じたフルタイム労働を間に挟んだことによる一番の弊害は計算力の劣化。宿題や試験の問題を解く際、「これを解けば答えが出る」という条件は楽に出せても、その計算で異常に時間を食うということが頻繁にあった

というところ。結局、フルタイム労働を挟んだことはトータルで少しマイナスが勝つか、という程度だった。仕事で経済学を使う機会がなければもっとマイナスが大きかったかも知れない。

3. スピーキングザコ人間が人生初のTAを英語でやれるのか

 学期中のもうひとつの大きな問題としてこれがあった(大学からのファンディング(Stipend支給)の条件として1年目からTAをやれ、という形だったため)。この関係で、大学が行う英語のスピーキングテスト(通称 "SPEAK test")に秋学期開始前に合格する必要があった。

 この準備のため、日本で出国準備や米国でMath campの受講をしつつ、隙間の時間にスピーキングの練習をしていた。学部事務や先輩方の話を聞くに「典型的な日本人のスピーキング能力では一発で受かる可能性は高くない」ということだったので、スピーキングザコを自覚している自分としては受かるかどうか超不安だった(受からなくても何とかなるが、最悪の場合1年目のファンディングが保証されないなど色々と制約が付く)。

 結果として8/20に行われたテストで一発合格できたが、個人的な感覚としてこれはほぼ運(この日はスピーキングの調子があり得んほど良かった)。なお結局スピーキングに不安があることは確かだったので、最初の秋学期にはInternational TA trainingという授業を取っていたが、これはとても良い授業だった。


 晴れてTAをやってもよいというお墨付きを受け、担当することになった科目はEcon 101(初級ミクロ)。TA業務の負担としては、毎週金曜日にあるTA session(各50分×3コマ)の開催及びその準備、宿題や小テストの採点、試験問題の作成、オフィスアワーなどなど。タイミングによってはTA業務にかなりの時間を取られ、時間的・精神的にキツいものがあった。

 これに加えて、TAセッションの大部分において自分が学部生を相手に英語を話さなければならない、ということ自体が苦痛だった。特に最初期は不安のあまり、TAセッションで何を喋るかの大まかなスクリプトを書いて前日に鏡を前に話す練習をする、などといった行動に走ってアホほど時間を使ってしまっていた。経験するうちに慣れてきて準備の時間は短縮され、スピーキング能力も向上してきたとは思うが、それでも「TAセッション、やりたくねぇな…」という気持ちは最後までずっとあり、毎週木曜の午後くらいからは常に憂鬱だった。

 他方で、経済理論を英語で説明する訓練ができたとか、ネイティブの学部生とコミュニケーションを取る機会が持てたとか、恩恵もそれなりにあったのは間違いない。今後英語を話さなければならない機会は復職した後もたくさんあるだろうから、人生レベルの財産になったと思う。

4. 30過ぎて受けるクソデカ試験、プレリム(Preliminary exam)

 そんなこんなで何とかコースワークとTA業務を終えた後に待ち受けているのがこの試験。UW-Madisonの場合は①ミクロ・マクロの2科目(計量は試験自体がない)、②コースワークの成績にかかわらず全員必ず受けなければならず、③試験は6月上旬(=春学期終了から約1ヶ月の準備期間アリ)。

 個人的には、マクロはどうせ今後ほとんど使う機会がないのに何でまた勉強せなあかんのか、という思いが強かった(せめてミクロ・マクロ・エコノメから2科目選択制にするとかではダメなのかと)。あと、30歳を超えてんのにまだクソデカ試験を受けないかんのか、という感情もあった。なお後者について、歳の近い同期は国籍にかかわらず類似の感覚を持っているようだった。


 バカバカしいとは思いつつ、学期中の期末試験とは違って落ちたら冗談では済まされないことも確かだった。こんなに緊張感のある試験を受けるのは大学受験以来だったので、準備期間中はほぼ毎日朝から晩までオフィスに籠って勉強した。例えるならば大学受験前、又は直近の経験でいえば仕事がアホほど忙しかった2023年6月みたいな状況に近かった。自分は家ではほとんど集中できない人間なので、オフィスで一緒に勉強しようと誘ってくれた同期には本当に感謝している。

 この準備の甲斐もあり、試験本番は割と平常心で臨むことができた。試験後、ミクロは絶対受かったという手応えがあったが、マクロは「何じゃこりゃ」みたいな問題が多くて上手く解けた気がしなかったので、結果通知までは正直気が気ではなかった。結果的に両方一発で通過することができ、「Pass」の文字が入った結果通知のメールを家で見たときは思わず声が出た。特にマクロはクラスの2割が落としたようなので、本当に運が良かったとしか言いようがない。

おわりに

 勝率を上げる努力は怠らずにやってきたという自負はあるが、それでも人生における勝負事の大多数は確率1で成功するという状態に持っていくことは不可能だと思っているので、負けてはいけない(=負けたときのマイナスがエグい)運ゲーに全て勝つことができたのは本当に幸運。感謝。

 ほかにも、

  • Math Campやコースワークの中身について

  • 英語と英語圏のコミュニケーションへの適応について

  • 修士と博士の待遇や忙しさの差について

とかは記録したいな〜と何となく思っている。それではまた。

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