#2 三角の世界から網目の世界へ
今日は大学生の頃から考えてることを言葉にしてみます。
それは、今主流である「三角の世界観」は幻想で、正しいのは「網目の世界観」ということです。僕は、網目の世界で生きたい。
意味がわからないでしょう。それはそうだ。
まぁ、読み進めてみてください。
三角の世界観では、目指すべき頂点があって「成り上がるのが人生だ」という視点を中心としています。明確な上があって、そこに到達することがゴールなので、自分以外の人は大体敵になります。
三角の世界では、他の人と比較しながら、自分が何を自分の力で手にすることができたか、を競います。中心は自分であり、自分のもとに手繰りよせることができたモノや地位などで自己を評価します。
そんな世界観だから、個人主義&極端な自由主義が良しとされます。お金をたくさん持っていることが重要視されやすいのも特徴です。
勝利への渇きと妬みで動いているこの世の中で一番唱えられている言葉は、もしかすると「クッソ!」とか「この野郎!」かもしれません。
友達の大月さんが作ったこのサザンの MV が極端な感じでこの世界を描いてくれてます。ピラミッドが入ってるのもバッチリはまってます。
でも、じっくり考えてみると、私たちが自力で成し遂げたことなんて、本当のところ何一つとしてありません。
暑い日にエアコンをつけるのも、アクセルふかして車を走らせるのも、株に投資してお金を儲けるのも、あたかも自力で実現したことに見えたり、感じたりするかもしれません。でも実際には、そのエアコンを発明した人がいて、その道路を敷いた人がいて、その会社を作った人がいて、初めて実現できたことばかりです。
私たちは「前の人」の肩に立つちっぽけな存在であり、どんな行為も、私たちよりも前にいた人たちの努力があったから実現できています。そしてまた、前にいた人たちも、そのさらに前にいた人たちの肩の上に立っています。
「今」というのは、文明の奥深くまで無限に連鎖する「前の人の肩」の上に成り立っているのです。
もう一歩掘り下げていきましょう。
「生を授かった」という表現があります。この表現の通り、すべての行いの源である命からして、私たちは他力によって手に入れています。
もう一歩深く。
生まれた私たちが「呼吸できる」という状況を作り出したのは、何億年もの時を経て、小さなプランクトンが大気中に酸素を溜めてくれたからです。
もう一歩。
そもそも、地球上に生が存在するのは、地球が「ゴールディロックゾーン」という、太陽との距離が絶妙な場所に位置しているからです。
実際のところ、「エアコンをつけることができた」という現象が成立する要件の内「自力」が占める割合なんて高く見積もって 0.000000001% ぐらいでしょうか。
私たちは、有機物と無機物が複雑に絡み合う網目の中でポツンと偶然にも生を与えられ、生きているのです。
その網目は絶妙なバランスでなりたっていて、そこに存在する全てのモノ(私たちを含む)やコトに共通していることは、他力によって成り立っている、という事実です。
今の自分をこの網目の一部として認識すると、世界の見方が変わります。
酸素も、生も、エアコンも、資本も、知識も、自力で得たものではなく、与えられたものだと気づきます。何かを与えられた時に私たちが感じるのは「感謝」。
感謝を中心に回るこの世界における私たち一人ひとりのゴールは、この網目を共有する構成員に少しでもお返しをし、全体をパワーアップさせること。
自分という存在が網目の他の存在によって成り立っているという認識の上に構築された網目の世界で、一番口にされている言葉は「ありがとう」。
僕は網目の世界に住みたい。
***
三角の世界、つまり競争を基本とした世界で犠牲にされ続けてきたのが自然です。網目の世界では、人は大自然に依存した存在であるという認識があるため、自然の破壊は必要かつ再生可能なレベルに留められます。
僕は社会学を大学で勉強しましたが、そこでは色々な社会を比較分析し、根本的な世界観やイデオロギーの違いが、社会的規範、法律、産業など、上層に位置するあらゆる要素に大きな差をもたらすことを学びます。
しかし、資本主義が広まった今、世の中はどれも三角の世界観を前提に走ってるように見えます。ただしその軋轢(あつれき)は気候危機や富の格差などのような形で顕在化しており、今人々は深いどこかで言葉にできないモヤモヤを抱えながら生きています。
この社会では、美や幸福といった概念ですら、競争の世界へと引き込まれてしまいました。残念なことです。
一旦「三角の世界観」というフィルダーのかかったサングラスを取り外し、とりあえず・・・
隣の人に
親に
道路を敷いてくれた人に
酸素に
億万年前のプランクトンに
ミミズに
太陽に
ビッグバンに
土に
貨幣経済に
コスモスとノモスに
「ありがとう」と伝え、一歩ずつ「網目の世界観」を取り戻す必要があると感じます。
だって、私たちは網目の中で存在する、完全に他力によって成り立った、ちっぽけで奇跡的な存在なのですから。
***
3T(私の会社)について書くと言いながら、#2 のエントリーで早速だいぶ変な内容になりました。その理由は、Hakuba Forum という世界中から集まった教育界のリーダー的存在(?)の方々と4日間「Well-being & Education」につて話しまくった結果、これ一旦書いて外に出しとこう、と思ったからです。
では!