いらなくなったら、捨ててくれていいから
こんばんは。
今週1週間は何だかとても疲れてしまいました。
今朝は久しぶりに寝坊をしてしまい、慌ただしい1日の始まりでした。
思っているよりもちゃんと仕事をしているみたいで一安心です。
ボクは自分を信じられていない。
だから自信がない。
基本的にポジティブで生きているけれど、根本的なところは後ろ向きで、だから努めて前向きにしている。次第にそれが素になりつつあるけれど、やはり生粋のポジティブには慣れていないと思う。
特に、誰かに好かれるということに関しては、本当に自信がなくて前向きな発想すら努めてもできない。そういう自信のなさが、好かれない理由になっていって、結局また好かれないという悪循環になってしまっているのだと思う。
心変わりをされたことが何回かあって、いや学べよって前に言われてしまったことがあるのだけれど、きっとその経験は自覚できないレベルで疵になってしまっている気がする。
元々、好かれる方ではないから、自分に向いていた矢印が急に明後日を向いてしまったのはそれなりにショックで、それをやり過ごせるほどまだ成熟してなかった。今も全然、成熟はしていないけれども。
有難いことにボクは他人と親しくなりやすくて、他人に恵まれている。だから、人間関係においてはさほど苦労したことはない。ただ、どうしてもいわゆる友達止まりになってしまっていて、それ以上に発展したケースの割合が著しく低い。このギャップもまたボクの悩みだ。
ここ数年、「やっぱりボクじゃない」がすっかり口癖になってしまっていて、ずっと後ろを向いている。
いつかボクを好いてくれた稀有な人たちに聞いてみたいことがある。
「どうして好いてくれて、どうして飽いたのか」
きっと前者は覚えていなくて、後者に対しては「そういうところだよ」と一蹴されてしまう気がする。こうやって書いてしまっていることも良くないのだと分かっている。
いつ読んだかは覚えていないけれど、ガムを捨てるタイミングと別れるタイミングはどうやら同じらしい。その論理に当てはめるなら、ボクは自分から捨てられたことがなくて、ご飯食べるからとか、目的地に着いたからとか、受動的な理由でしかない気がする。惰性で噛んでいるわけではなくて、味がしなくなっても噛むという動作を楽しんでいる。ただ噛み続ける。それがボクの中にあるという感覚を持ちながら。
ガムを捨てたのはどのタイミングであったか知りたい。
きっとボクは大した味ではなかったのかもしれない。
いらなくなったら、捨ててくれていいから、その理由が見つかるまではとりあえず置いておくのはどうだろう。捨てた後はこっちで上手くやっておくから。あれば少しは良い方向にはたらくだろうし、邪魔はしないからちょっとだけスペースを空けてくれませんか。
何となく今夜は寂しさが優ってしまっていて、こんな姿は見せたくないなと思いながら書きました。情けないけれど、それはもうすらすらと。
ついさっき明日の予定がなくなって、ああやっぱりかと思う反面、これで良かったのかもしれないとも思います。もしかしたら、これっきりなのかもしれなくて、そうなったらそうなったでそれで良かったと思うことにします。
そもそもボクなのだから、あればいいなくらい、もっと謙虚に生きなくてはなと戒めますね。
それでは。
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