【マダガスカルで日本祭り】Heriandro faha 12
みなさん、こんにちは
どんな週末を過ごされましたか。
私はとても充実した週末を過ごすことができました。
というのも、私の任地から少し離れたミアリナリブという場所で開催された日本祭りのお手伝いに行ってきました!
なんと初出張!!
今日はその様子を書いてみます!
準備?ポスターをつくる
私がこの日本祭りに参加すると決まったのは、まだ任地に赴任する前でした。私の任地もミアリナリブも同じイタシ県なので、メンバーに入らせてもらいました。
とは言いながら、日程調整や資材調達等の企画・運営は先輩隊員におんぶに抱っこで私は何もしていません。準備過程で、私が唯一担当したのは、ポスター作成!
先輩隊員に「ポスターを作って欲しい」と言われた時は、内心めちゃくちゃ嬉しかったです。
NGOインターンをしていた時、デザイナーの上司に教えてもらいながら、ビジュアルデザインを少し経験して以来、ポスター等の制作物づくりが好きになりました。
そして、今回作ったのが、このポスター。
以前、他の先輩隊員が企画した日本祭りに参加させてもらった際、マダガスカルの澄んだ空と日本の伝統文化が混じりあっている印象を受けました。それを今回のポスターでも表現できたらな〜と思いこんな感じでやってみました。
自分で作ったものを客観的に評価するのは、とても難しいので、なんとも言えませんが、悪くはないかなと感じてます。
ソーラン節と歌う私たち。
祭り前日に現地入り。
祭り会場に到着すると、祭りに向けて子どもたちがソーラン節を練習していました。子どもたちは、初めてみる日本人の私に興味津々でしたが、音楽が流れると、みんな真剣にソーラン節!完成度の高さは子どもによって全然違いますが、真剣な眼差しはみんな変わりません。
そして、私も、小学生ぶりにソーラン節を踊ってみました。案外、覚えていることにびっくり。
練習を終えて、明日の参加する隊員が全員が揃ってから、打ち合わせを兼ねた食事会。ちゃんとお話ししたことのない先輩もいましたが、みんな本当に面白くて穏やか。
打ち合わせよりも、食事に夢中な私たちが面白かったです。9人で8切れしかないピザをかけて、壮絶なじゃんけん大会。ポテトが食べたすぎて追加注文の嵐などなど。そして、最後は翌日の祭りで歌う日本の歌を万点の星空の下でみんなで合唱。
なんだか、合宿のような夜でした。
祭りの日。着付けて、片付けて、踊って、歌って。
祭りの日
早朝からの準備。開始時間に余裕があると思いきや、テントの設置が中々、進まず。開始時間から押してしまいましたが、さすが先輩隊員、マダガスカル慣れしているだけあって、誰も気にしてませんでした笑笑
ちなみに、マダガスカル語でFotoana Gasy (フトーナ ガシ)という言葉があります。略すと、「マダガスカル時間」という意味で、予定の時間には、きっちり始まらず、遅れるマダガスカルの時間感覚を表す言葉です。
今回の祭りも、マダガスカル時間適用です笑
祭りでは、メインステージで二人羽織やクイズなど、参加型ゲームが行われていました。一方で、ステージの周りでは、展示や食品販売、体験会等のブースが用意されています。
私の担当は、テントブースの運営補助。ということで、ひたすら浴衣の着付けをしていました。浴衣の着付けなんて、高校生の体育祭以来です(私の母校は、最終学年の生徒が浴衣を着て踊るのが伝統です)。ほとんど覚えてなかったので、先輩隊員の着付けを見様見真似。
着付けをしているとあっという間に、午前の部が終わり。
午後は、テントブースも落ち着いたことと、強風のため、早めにテント撤収。テント撤収は中々な力作業でしたが、私は力作業が嫌いじゃないことに気づきました。いや、むしろ好きかも。
そんなこんなで、メインブースはいよいよソーラン節。練習の成果もあって、子どもたちはとても楽しそうに踊っていました。子どもたちの笑顔が一番嬉しいですね。
最後は、私たち隊員の歌。
『切手のない贈り物』
素敵な素朴な歌ですね。
と、無事に祭りを終えました。
たくさんの学び
現地の人々の道具がない時の工夫方法。
先輩方の現地の人との関わり方。
そして、何かを成し遂げる時、プロセスをどう楽しむか。
などなど、この祭りを通して、たくさんのことを学びました。
そして、何よりも印象的だったのが、終始、穏やかな祭りだったこと。
できることできないことを取捨選択して、参加した人に楽しんでもらうという一番大切なことを優先したからこそできたことなのかもしれません。
今日は、祭りについてでした。
祭りとは違って、最近日々の生活で感じていることがあるので、来週になるまでに更新するかもしれません。
では!