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【比べて見えた貧しさ】Herinandro faha 18

「人と比べるな、自分は自分だ」

みたいな言葉はよく聞くし、自分に自信をなくした時には、染みる言葉なのかもしれない。
でも、自分を知ろうとするとき、自分の身の回りをより俯瞰して見ようとする時、比べることは、とっても大切な道具なのではないか。
良くも悪くも、物事の輪郭をより明確にしてくれる。
そう、良くも悪くも。

そんなことを、日々の出来事を通して、徒然なく考えてしまう。

相対的な貧しさ

開発経済学等でよく使われる言葉
相対的貧困・絶対的貧困

詳しくはここでは述べないが、
絶対的貧困は全世界的に定められた基準(2.15ドル/1日 2023年現在)以下で生活している人のことを示す。
それに対して、相対的貧困はその国の生活水準(世帯所得)を基にして、大多数の世帯と比べて、貧しいかどうかで判断する。

と、難しいことを連ねても理解しずらいが、相対的な貧しさは、私の任地で生活すると一目瞭然だ。

私の任地の相対的な貧しさ

外国人、マダガスカル人。

太っている人、痩せている人。

靴を履いている人、履いてない人。

毎日汚れた同じ服を着ている人、毎日洗濯された服を着ている人。

移動手段が徒歩しかない人、バイク・車を持っている人。

私の任地の貧富の差は目に見えやすい。見えていない住環境などを含めると、この街の格差は愕然とするほど大きい。

私の任地は、日本で言う軽井沢のような場所。
都会から少し離れた、自然豊かで静かな田舎町だ。なので、旅行客も多いし、お金持ちの別荘も多い。

一方で、ここに住む人は、とても貧しい。
みんな、体は細い。太っているのは、外国人と市長とお肉屋さんぐらい。そして、みんないつも同じ服を着ている。正直、違う服を着ていたら認識できない人もいる。何より驚いたのは、靴を履いてない人の多いこと。老若男女関係なく、時には集落の長でさえも靴を履いていない。裸足のかかとが割れているのをみるたびに、なんとも言えない気持ちになる。

もちろん、私はこの街ではお金持ちに属する。なぜなら、私は外国人だから。実際に、いくら所持していると言うことが重要なのではなく、どのような見た目をしているかがここでは大切な判断基準になのだろう。

そんな格差で歪んだこの街に住む人は、何を感じているのだろうか?

思い出す中学時代

そんなことを考えていると、私の中学時代を思い出した。
私は中高一貫の私立の中学に通っていた。私の家は、両親共働き。日本社会で相対すると、特段裕福でもないし、特段貧しいわけでもなかった。いわゆる中間層だろう。
しかし、クラスの中では、間違いなく貧困層だった。
クラスメートのほとんどの家庭は、母親が専業主婦。誕生日には、ブランド物のやり取り。次から次へと最新機種の携帯に変わっていく。
一方で、物質的豊かさに憧れを抱く私含め貧困層が同じ教室にいた。

羨ましさはありながら、私はとても違和感を感じていた。
そう、今、私がここで感じている歪さに似ている。

誰1人取り残さない?

最近、よく聞く「SDGs」のキャッチフレーズ。
「誰1人、取り残さない」

でも、いろいろ考えるうちに、
「取り残されている」方が、まだ楽なのかもしれない
と感じてしまっている。


「同時にもっとも疎外されておらず、もっとも抑圧されている者たち」

デヴィット・グレーバー著『アナーキスト人類学のための断章』2006年

かつて、マダガスカルでフィールド調査をした文化人類学者デヴィド・グレーバーの言葉だ。彼は、かつて世界中の資本主義に対して立ち上がった小作農者や商人をそう言い表した。

なんとも、腑に落ちる表現だった。簡単に言えば、巻き込まれ事故の被害者。

戦争の被害に遭う(抑圧されている)人々は、戦争に巻き込まれている(疎外されていない)人々だ。

そして何より、私はこの場所で、彼が言い表した通りの「紙幣経済から疎外されず、日々の貧しさと戦っている人々」を目にしている。

正直、協力隊の立場としては相応しくない発言であるが、日本の文化を伝えることを含め異文化理解という名で外界の景色を見せることが、常に肯定されるべきものかどうかも正直わからない。

彼らに自らの貧しさを必要以上に自覚させてしまうのではないかと懸念する。

巻き込まれた、抑圧されたものへ、


「この状況をどうにかするのが、あなた方、協力隊や非営利組織の役割でしょ!」と指摘されることもあるでしょう。
ごもっとも。

でも、根本的にこの状況を解決するのは、私たちではなくここに住む人々。彼ら自身が、自らが巻き込まれている社会課題に目を向け、声をあげる必要があると思います。
そのために私たちにできる最上のことは、彼らが声をあげることができるように意識化と動機付けです。

詳しくは、
パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育者』を一読ください。

今日は、机上の御託を並べて、つらつらと書きました。

本当は比較して見えてきた良いものも書く予定でしたが、またの機会に。




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