【私のヒーロー】Herinandro faha 17
今日も今日とて、泣いている。
でも、今日の涙は心が高鳴りながら、喜びながら、嬉し涙。
やっぱり、私のヒーローは私のヒーローだった。
私のヒーロー
新日本プロレス
ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン
内藤哲也選手
今日、2023年8月13日 両国国技館 G1 CLIMAX33
6年ぶり3度目の優勝
マダガスカルで、日本のプロレスを見て歓喜の涙を流しているのは、もしかしたら私ぐらいかもしれない。
プロレスに出会い、内藤哲也選手を知る。
プロレス好きなら誰もが知っている新日本プロレスの中心選手、内藤哲也選手。私だけのヒーローではなく、多くのプロレスファンにとって彼はヒーローだ。
私がそんな内藤選手を知ったのは、コロナ禍のことだった。
姉の影響でプロレスにハマった。最初は、「痛そう」「暴力的」そんな印象しかなかった。でも、プロレスを見ていくうちに、プロレスは技の掛け合いだけではなく、各々のレスラーの人生ストーリーが交差しながら、一つ一つの試合の味わいが増していくのだと気づいた。
「プロレスは人生の縮図」と、姉はよく言っていたが、本当にそうだと思う。
そんな中で、私は内藤哲也選手のレスラー人生を含めた全てにどっぷりとハマった。
かつてカリスマと呼ばれた優等生レスラーの彼、しかし、なかなか芽が出ず、ヒール(悪役)でもないのに、観客からはブーイングの嵐。
海外修行を経て、今までのファイトスタイルから脱皮し、より自由に破茶滅茶に、泥臭く戦うようになった。
カリスマは制御不能のカリスマに変貌し、新日本プロレスの中心選手へと駆け上がった
そうだ…。私が彼を知った時には、すでに新日本プロレスの中心にいる制御不能のカリスマだった。
彼の言葉が私の背中を押した
最初は、のらりくらりと相手を挑発するファイトスタイルや、ユーモアーに溢れながらも容赦ない正論をぶつける彼の発言が好きで、応援していた。この時は、まだヒーローというよりかは「推し」だった。
ある時、彼の過去の映像をYouTube観た。
2018年4月29日、熊本での試合後のマイクパフォーマンスでの言葉。
プロレスファンにとっては伝説的な言葉。
私にとってもこの言葉は伝説的である。この言葉を紙に書いて、ずっとスマホケースに入れているくらいとても大切な言葉。
イギリスへの留学を決意した時、青年海外協力隊の参加を決意した時、前に進むのを怖がっている時、私の背中を押してくれたのは、いつも彼の言葉。
そうして、内藤選手の存在は私にとって、「推し」というよりも「ヒーロー」に変わっていった。
ヒーローが目の前にいる。
日本にいる時は、できるだけ会場まで足を運んで、彼の試合を楽しんだ。しかし、イギリスにいた時は、試合に行けないので、画面越しに内藤選手を応援し続けた。そして、イギリスの生活も終わりに差し掛かった時、ある朗報が舞い込んできた。
新日本プロレスがイギリスで興行を実施する。つまり、イギリスで新日本プロレスを見ることができるということ!
私の日本への帰国予定は、その興行よりも10日程早かったが、急遽、帰国を延期し、試合のチケットを購入した。そして、試合の次の日に帰国するために日本行きの飛行機のチケットも購入した。
その興行は、私にとって本当に夢のような時間だった。
イギリスの留学生活は、とても苦しかったが、プロレスのおかげで乗り越えれた。そして、私のイギリス生活を支えてくれたレスラーが、今、目の前にいる。「よく頑張ったよ」とご褒美をもらえたようだった。
しかし、その後にもっと大きなご褒美があった。
ヒーローがヒースローにいた。
私は試合観戦も終え、翌日、帰国の途につくため、ヒースロー空港のカウンターに並んだ。そうすると見慣れた体格の人たちが、私の前に並んでいる。
え?え!え!!
昨日観たはずのプロレスラーだった。
荷物検査上に行くと、棚橋弘至選手が私の前に並んでいる。
心臓がやばい…どうしよう…。いや、話しかけてみよう。
私「すみません、棚橋選手ですよね。昨日の試合、最高でした」
棚橋選手「ありがとう!やっぱり、歓声のある試合は最高だよね。あとで、一緒に写真を撮ろう!」
厚かましく話掛けた私に対して、気さくに対応して、写真まで撮ってくださった棚橋選手。
そして、搭乗ゲートに向かうと、私のヒーロー、内藤選手がいた。
「え、やばい!!こんなチャンスない…。けど恥ずかしい」とモジモジ。
これこそ、一歩踏み出す勇気!
「すみません、内藤選手ですよね。昨日の試合、観に行きました。
昨日のザック選手からの勝利が、個人的にめちゃくちゃ思い入れあって…… (ベラベラベラ)…。」
と、思いつくことをベラベラと話したくせに、大切なこと、「内藤選手は私のヒーローでとても感謝している」ということを伝え忘れる始末。
本当、私、しっかりしてほしい。
内藤選手もテンパりまくりの私の話をずっと聞いてくれて、とても優しく対応してくれた。やっぱり、ヒーローだわ。
マダガスカルでも、私のヒーロは、やっぱりヒーロー
そんなヒーローは今日も私のヒーロだった。
これまでのnoteを読んでいただいている方は、私がマダガスカルの生活に少し落ち込んでいることはご存知だと思います。
大好きなプロレスさえ観る気にならない。最近は、試合結果だけを把握して終わりだった。しかし、G1 CIMAX 33 (新日本プロレスで、夏に実施される大きな大会)で、内藤選手が準々決勝まで勝ち進んでいることに、喜びと期待で久しぶりに心が晴れやかになった。
観るしかない。
そして、昨日の準決勝、劇的な勝利。観てよかった。
オカダカズチカ VS 内藤哲也
今日の試合は、何だか私にとってもとても特別。私のこのマダガスカルの人生もかかっているような気持ち。
「もし内藤哲也が優勝しなかったら、本当に日本に帰るかもしれない」と母に伝える。他力本願の極み…。
内藤選手は最近の試合では、オカダ選手に負け続き。
「いや、だからこそ今日は勝てるかもしれない」
私のプロレスファンの感性がそう言ってた。
なにしろ、今日の試合は私のマダガスカルの生活もかかっている。
祈りながら観戦する30分超の試合。
最後のフィニッシュホールド(決め技)『デスティーノ』がきまり、3カウント、内藤選手の勝利。
泣いた、泣いた、泣いた。近年で一番嬉しかった。泣いた。
試合後のマイクで内藤選手は、
「このリングの主役は、俺だ」
と言った。
うん、うん、そうだよ、そうだよ。
「この人生の主役は、私だ」
私、ここで頑張ってみる。
そして、ここでちゃんと2年間を終えて、日本に帰った時は、どうにかして内藤選手に感謝を伝える。
やっぱり、私のヒーローはどこでも私のヒーローだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?