10年後の自分と、この春に祈ること
2011年3月11日の当時、自分は大学2回生が終わった春休みの最中で、1週間ほど前までオーストラリアのセントラルクイーンズランドにある提携大学へ短期留学みたいなものに行っていた。クイーンズランドにいる間、海を隔てたお隣のニュージーランド・クライストチャーチで大地震があったのを覚えている。
帰国して数日後、大学でこれから度々お世話になる音楽科の先生と打ち合わせをしている時に、嫌に揺れの長い、変な感じのする地震があった。
そしてその2日後に、東日本大震災は起きた。
当時のことは、あまりの慌ただしさに記憶が曖昧だったりすることもある。でも、真っ暗な実家の店の座敷で寒さに震えながら、ラジオから絶え間なく流れる大津波警報の音と沿岸部の壊滅的な状況に耳を傾けた夜のことは、どうしても忘れることができない。
自分の中の常識や当たり前だと思っていたことがあまりに簡単に、一瞬で崩れてしまって怖かった。
電気もガスも止まった暗闇の中で、小さなろうそくの灯りが揺れるのを眺めながら「これからどうなってしまうんだろう」と、そればかりを考えた。
幸か不幸か、そんな不安もその後の暮らしの忙しさに紛れていき、「がんばろう東北」「がんばろう日本」なんてもっともらしいスローガンの下にいつしか復興は進んでいった。
その大きな流れの中で、正しいとみんなが言う価値観に乗っかって義憤に駆られてみたり、時にはデマに振り回されて疲弊することも自分にはあった。
今でも、震災をイデオロギーのために利用する人を心から軽蔑する気持ちはある。そんな思いも昔よりはましになって、怒りというよりは哀れみの気持ちが先に立つようになった。それが良いことなのかは、まだ自分にはわからない。
人の数だけあの3月11日の思い出はあって、そこから感じたことも人それぞれだ。
何が正しいか、それこそ他人がはかる事などできない。
地球上の科学の法則に照らした正しい答えはもちろんあるけれど、人の心が必ずしも正解を選ぶわけではない。選択に時間がかかることも、間違うことも疲れてしまうことも絶対にある。
だから、自分のことも、他人のことも赦していけたらいいな、と思う。
今の自分は、10年前には想像もしていなかった場所で、想像もしていなかった仕事や生活をしている。
20代の入口にいたあの頃より、今のほうがずっとずっと自由で、たくましい心で生きているように思う。
あの時から世の中が良くなったとはお世辞にも言えないけれど、自分の心はとても自由だ。
続く日々も、柔らかに過ごしていきたいと思っている。
あの日から10年。
みんなが心も身体も健康で、それぞれの自由を大切にしながら生きていけますように。
そしてできることなら、あのような災害がまた起きることがありませんように。