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【結論】幸いにも、バンド活動にも社会性は必要でした。-これは救いと希望の話-
高校生の頃からバンドをやってる。あるバンドは解散したり、お休みしたり、それでまた新しいバンドに入ったりと色んな変遷はあれど、とにかくずっと、続けてる。
会社員になった今ももちろん両立してて、普段何してるの?って聞かれたらこれはもう意地というか自分の心を保つために「バンドやりながら会社員。」とわざとこの順番で答えるようにしてる。29歳最後の青さ。
色んなライブハウスやスタッフの方、先輩バンドの方々にお世話になればなるほど、会社もバンドの世界もそんな変わらないもんだなあと思ったりする。
上半身裸で自由を叫んでるパンクロッカーほど上下関係に厳しかった。MCで音楽(バンド)への愛を語って泣いてる人ほど、出番後や打ち上げで上辺の声色で外交活動をしてた。
それが悪いとかダサいって言うつもりは全くない。むしろ、それを見て正直ホッとした自分がいた。バンドマンも、上場企業の社員も、やるべきなのはまずはひととの関係構築からなんだってこと。
社内でデカい事業を成功させるには、まず社内外のキーパーソンとの関係構築や飲み会での腹割りトークが欠かせないように、音楽活動だって初めて会う共演者やスタッフ、そこにいるなんかのライター、なんかのレーベルのなんかすごい偉い人との挨拶から始まる関係構築こそが自分たちの次の活動に繋がる。そりゃあ音楽やる前に人間なんだもん。芸術でありビジネスなんだもん。この世界はクリエイティブ至上主義じゃない(そうあってほしいけど)。成果物がどんなに神がかってても、それだけじゃ仕事になり得ない。誰かのお力添えがないかぎり、誰かに愛してもらわないかぎり、音楽は遠くに届かない。(もちろんTiktokでの一発の奇跡もあるけど、それは宝くじレベルの話)
それはきっと、ここが人間の世界であって、この世界は音楽がもう飽和してて、SNSも飽和してて、世界はそういうもんなんだ、の一言につきる。
「(コミュニケーションとか社会性とか)そういうのが苦手だから音楽やってやるんだよ。」って人が自分の周りには多かったし、私自身も社会に出るまではそう思ってた。昔から対人関係が死ぬほど苦痛で苦手だった私は、音楽活動をすれば救われるんじゃないかって思ってた。
でも大学4年の頃のこと。当時の私は、周りで活躍してるバンド友達とは違って、世間のレールから外れてまで音楽の道に進む勇気がなかった。そしてなにより自由を求めた。自由になるにはお金がいる。肩書きがいる。だから上場企業に入社した。
そんなこんなしてると、社会に出て5年目くらいからかな。急に会社の人との飲み会が楽しめるようになってきた。社会と自分の公約数の見つけ方がなんとなくわかってきて、コツがつかめてきて、こなせるようになって。少しずつだけど人間関係を構築していくってことの意味がわかってきた。
そうした途端、バンドが楽しくなった。うまくいくようになった。
うまくいくってのは売れるとかそういうんじゃなくて、なんていうかな。バンドだってひとつの苦手な集団社会行動なはずなのに、以前よりも気がラクになって、思うままに楽しく弾けて、バンド内のニュアンスのすり合わせみたいないわゆる‘’側(がわ)から話すイメージの整合”とかも容易くこなせるようになった。団体社会の中で笑えるようになった。失敗したことも失敗した〜って言えるようになった。こうなりたいとか、照れずに言えるようになった。恥ずかしいとかなんか嫌だ苦しいとかそういう心の引っかかりがなくなって、普通に、ただ団体行動が頑張れるようになった。
社会性にかけてる(という自覚がある)人が文化の道に進もうというのは、救いを求めた努力のひとつだと思う。でもそれは、天性ピカイチの、この飽和した世の中でも群を抜いて光る才能があるひとにしか許されないことなんだって、自分の心に常に厳しく刻んでいる。それがない凡人の自分は、社会性を努力で身につけなきゃいけない。他人から愛されなきゃいけない。この修行は会社員のときも、音楽をやってるときも、平等に私に課されている。
でもこれもまた、ネガティブな意味じゃなくて、むしろ音楽を続けたい私にとっての救いとなっていて。
学生時代、「【普通コンプレックス※】の私は、音楽をやっちゃいけないんだ」って思ってたけど、こんな私でも(天性の才能には及ばなくとも)努力でいけるフェーズはあるんじゃないかって思えた。
※普通の家庭で育ち、普通に4大を卒業し、企業入社するっていう普通の人生をそつなくこなせてしまったことへの劣等感(天才はそもそもそういうのこなせないくて辛いってよく聞くもんな。というヤケのニュアンスも含む)
会社員を頑張って、会社の飲み会を頑張って、社会性や対人力を身につけてバンド活動に還元していく。かっこ悪い、中途半端って思われるかもしれないけど、これが私の戦い方なんだと思う。
私は天才・松本人志にはなれない。
でも、めちゃイケオファーシリーズの岡村隆史には頑張ったらなれるかもしれない。
これから音楽の世界に行きたい!ってアツくなってるひとには、【所詮音楽業界も社会か、、】とある種ガッカリさせちゃうかもしれない。
だけどこれは、先天性の才能じゃなく後天性の努力で実らせれる何かしらの可能性を音楽業界が許してくれているっていう希望の話。
そう思って頑張ってるけど、会社では対人折衝力だけいまもずっと最低評価。
音楽と上場企業勤務を両立するマインドの話でした。