母親からの愛情を乞うては、食べて。なけなしの愛情を出し渋る父親への、せめてもの忠誠心から、吐いて。食べては吐いての繰り返し。この先、行き止まり。息止まり。生き止まり。摂食障害、愛情失調。それでも気づいたが最後、生き吹き返さずにはいられない。自分で自分に許可を出しさえすれば。
わたしを隠すために、長く伸ばした髪、丸めた肩。細い体、うつむきがちな視線、小さな声。お母さんのお腹の中にいた頃から、体を小さく小さくしてたっけ。この広い世界に生まれてからも、少しも場所を取りたくなくて、食べても太らない。生きていていいのか、いつまで経っても決めかねているかのような、半透明な存在。あの頃のわたし。
片や、寄せては返す感情の波打ち際で、一喜一憂する女。デートであれしたこれした、どこ行った、何食べた、鼻先分別。片や、遠く遠くの水平線を見据える女。愛し愛され、ふたり寄り添う未来を千里眼。今いる立ち位置は同じでも、全く異なるふたつの視点。意識して使っているか。どちらを選ぶのか。または使い分けるのか。恋を重ねたいのか、愛を深めたいのか。
自分の中から満ち満ちて、溢れ出るからこそ、誰かに分け与えることができる。それなくして、何をどう分け与えるというのか。愛も優しさも思いやりも、誰よりも先に向けるのは自分自身。自分で自分を満たしていく。誰かに満たしてもらおうとすればするほど、痛みを伴う、望みに反して。
「足りない」を前提に、躍起になって自分を変えるのか。「もうすでにある」を前提に、ただただ自分に還るのか。化粧の仕方、洋服選び、言葉遣い、口調、仕草、立ち振る舞い… もろもろに内側から滲み出る美しさ、品の良さ、芯の強さ。この「わたし」という素材、経験を、生かすも殺すも自分次第。
「幸せになりたい」と言いながら、アクセルとブレーキ、同時に踏んでどうすんの。生まれてこの方、慣れ親しんだ居心地の悪さ、手放しきれない。自分で自分に許可を出していい。わたしは幸せになっていい。抗うのをやめて、さっさと幸福に降伏する。このわたしに生まれたからには。皆様、お先に失礼します。
この体、一体誰のもの。他人目線で隅々まで採点しては、あれダメこれダメ。引き算づくし。寄せて、上げて、サバ読んで。コンプレックス隠すほど、あらわになるパラドックス。この体はわたしのもの。誰にへつらう。ふざけんな!!わたしの体。だから愛おしい。この体だから。この体。宝物。あれもこれも足し算づくし。どんな胸だって張って生きる。
この化粧ポーチに詰め込んだ「まぁ、こんなもんか」「とりあえず、これでいいか」「これじゃなくちゃ」「これじゃないどれか」に見る、自分の在り方の縮図。ひとつひとつの物選びに、隠しようのない自分が出る。取捨選択基準の有る無し、厳しさ甘さ、曖昧さ。たかがひとつの物選び、されど。物は口ほどに自分を語る。
自分の人生をどう説く(解く)か。フルマラソンなのか、迷路なのか。片や、がむしゃらに突っ走るフルマラソン。他人との比較の連続。受験、進学、就職、結婚、妊娠、出産、子育て、マイホーム、貯蓄 … コース上に数ある関門。棄権(危険)恐れて、何が何でも突破を目指す。片や、あっちこっちそっちどっちの迷路。寄せては返す、選択の繰り返し。誰とも被らない。遠回りも近道も、全ては錯覚。
いつからか始まった、自分自身へのダメ出し自動連続再生。やめられない、とまらない。独白、毒吐くモノローグ。自分自身を敵に回したら最後、四六時中監視の目が光る。まるで囚人と看守の一人二役、両刀使い。どこにいても何をしても、針のむしろ。この自分であることの居心地の悪さ。この生きづらさ、どの面下げて生きよう、自分を否定してまで。
夢を描いた途端に、なぜ足踏みを始めるのか。最初の一歩、その次の一歩をどうしても踏み出せずに。ためらい、そして立ち止まる。夢を覗いて、除いて。欲して、干してを繰り返す。見えない檻の中で、囚われ生きて。「夢がある」と言いながら、開店休業状態。その足かせ、慣れ親しんだ末に、自分の一部のように感じていないか。いつまで抗う、その夢に。
「ここじゃないどこか」「今じゃないいつか」「このわたしじゃない誰か」を思い描くばかりに、今ここにあらず。どこにも根付かず、寝付けずに。この一瞬一瞬の積み重ねが今日を作る。明日に続く。大丈夫、わたしは今ここにいていい。この場所、この状況が最高の気づきと学びをくれる。そして卒業するその日まで。
できることなら、捨ててしまいたい過去。誰にだってある、ひとつやふたつは。その一見やり場のない「大きなゴミ」化した過去ほど、人生の「醍醐味」となる。酸いも甘いも、苦いも辛いも。経験の全てからダシを取る。ひと手間ふた手間加えて料理する。発酵させる。熟成させる。味わい尽くしてなんぼの人生。はたまた、味気ない人生を良しとするのか。
「大変」と書いて、大きく変わる。この崖っぷち感。神様からのお試し、揺さぶりがかかっている。知ってか知らずか、憎まれ役をそそくさと買って出るアイツにコイツに、「ちくしょー!!今に見てろ!!」と。この向かい風こそが、何よりの好条件。ここぞとばかりに、飛び立つために。それなしに飛ぶことはできない、鳥も飛行機も。そしてわたしも。この向かい風に、今、翼を広げて。
日本の鎖国は未だ続き、ガラパゴス化は進む。制服着せて、一斉ならえさせといて、さぁ抜きん出ろ。事細かく「条件付き」のナンバーワン崇拝。オンリーワンは煙たがられ、早々と摘み取られる。日本を一歩出たら、学歴なんてただの紙切れにもならない。井戸の中から、切り取られた空だけを見ていないか。あらかじめ与えられた選択肢の中だけで、選んでいないか。
結果に気を取られるばかりに、それに至るまでの過程、気づきと学びを軽んじていないか。良いか悪いか、正解か間違いか。いちいち意味付け、位置づけしていないか。そもそも、そんな必要があるのか。毎回毎回、二択の狭間で振り子のように揺れ動くのか。いっそのこと、そのど真ん中、中立でドンと構えるのか。「へぇ〜。ふ〜ん。そうなんだ〜。」と。右に左に、視点は風見鶏、往々にして。