「だって世の中はそんなに完璧を求めていないもの」
月曜夜二十時の国道
四車線の一番左をゆく
向かいからは少し遅めに帰宅する車のヘッドライト
隣にはTシャツを肩までまくり真っ直ぐに前を見つめるショートカットの美女
クソエモい。
助手席は、俺だ。
この二ヶ月で少しはカッコよくなったつもりだった。
服も買った。髪も染めた。少しの勉強もした。
でもまったく適わなかった。
『なんで学校辞めようと思ったの?』
世間話で済まそうと上手く避けたつもりだったのに、また実力不足みたいだ。
「えっと…………語学留学したいなと、思って。」
言い訳じゃんか。それは自分が一番分かってる。
本当は逃げたかっただけじゃんか。きっとそれは分かってる。
『そか。やりたいことあるならいいと思うよ。』
優しさだ。
いつもは憧れの彼女の強さと優しさが、今日はとても痛い。
『でも……あと半年じゃん?どうにか我慢出来なかったの?』
我慢。逃げるのを。
「んー……あと半年がもったいなくてさ。4月から働く事になるじゃん?そしたら留学も行きづらくなるしあのラボにあと半年いて俺が得られるものって学位だけかなって」
プレゼンは1度も上手く出来なかった癖に、言い訳だけはスラスラ出てくる。何度も復唱したから。
『そっか。』
それだけ言って彼女は黙った。
向かいのヘッドライトが急かしてくる。
さっきまで大したことなかった沈黙が、今は苦しい。
『私はさ、こういう時にここで頑張れなかったなって後々後悔しちゃいタイプだからさ、今あと少し頑張ろうって思うんだよね。』
沈黙の苦しさを打ち破った彼女の優しさがふやけた心にさらに刺さる。
「俺はさ、頑張れる環境とそうでない環境があると思ってて。今までの事考えても、やり切れた時とそうでない時って結構環境が違くてさ、だから、頑張れないと思ったら、場所を変えるしかないかなって。」
何も言わなきゃいいのに。
「それに、俺、ずっと周りにコンプレックス持っててさ、だから、せめてそれを解決するために時間を使いたいんだ。」
『私が今ここで何言ったところできっとお前は聞かないよね。頑固だもん。頑固で完璧主義者だもん。でもさ、世の中ってそういうもんじゃないんじゃないかなって、最近思うよ。』
『私も、昔は完璧にやらなきゃ。やってから出さなきゃって思ってた。でも研究室入ってやっていく中で中途半端でもいいんだって思えた。』
『だって世の中はそんなに完璧を求めていないもの。』
『私達はそこまで期待されてないよ。中途半端でいいからとりあえず出してみて、いろんな人やいろんな意見にもみくちゃにされながら悪いところ直していけばいいんだなって最近思ったわけよ』
『きっとお前はまだそう思えないのかもしれないけれど、私は今はそう思うよ。』
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きっと僕が決定的にここには居られないと思ったのは、先輩の言葉だ。
それまでに細かいフラストレーションはあった。
先生の沸騰が怖いだとか、
それに納得のいかない親友が研究室を変えたりだとか、
得意だと思ってたプレゼンは一度も上手くいかなかったりだとか、
誰も互いに褒めない環境だとか。
それでも何とか折り合いつけて、端の方でひっそりと席をいただいていたのだけれど。
(お前はさ、プライド高いよね)
違うと思った。
プライドなんてあったら先輩にプライベートの悩み相談なんてしてないっす。
でも、違うと言えばプライドが高い事の証明になってしまう。
まるで自己言及のパラドックスだ。
何も言えなかった。
言う権利が与えられなかった。
とうとうそこに存在する事が、許されなかった。
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「ここまででいいよ、ありがとう。」
何にも勝てない同期に説教されてもせめてこの酷く惨めな気持ちは出すまいと最後の足掻きだった。
『じゃあ、また。』
「うん。また。」
この美女がどこかでひと言『好きだ』と言ってくれたら、あと半年頑張れたのだろうか。
あの先輩がどこかでひと言『やるじゃん』と言ってくれたら、こんなに惨めな気持ちで言い訳を連ねる事もなかったのだろうか。
あの座席で自分がひと言『先生が怖いです』と言えれば、完成してない実験を、見せられたのだろうか。
耳馴染みのある「世の中はそんなに完璧を求めていない」と、
ちっぽけでチープな自分の中の
「それはもう許される歳じゃない/自分の美学に反する」がなぜ自分の中で同じ土俵に立てるのか。
頑固だなぁ。
僕は研究室と決別した。
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