京都の女の子に関する考察
東京の女の子の方がかわいい。
と言うとおそらく各方面から
「女を顔でしか見てないのか」
「というか女の顔ばかり見てるのか」
「どの面下げて言ってるんだ」
というコメントをいただきそうだが、(実際女の子を見てるのは仕方ないとして)コメントの前に少しお時間をいただきたい。
私は東京近郊住みで、東京の"観光地ではない場所"によく遊びに行く。
一方、京都へ来たのは十数年ぶりで、京都駅周辺の寺(つまりthe 観光地)と下道を少しばかり回ってきた。
その比較のお話だ。
まず、京都駅周辺はとにかく観光客が多かった。
ほとんどは修学旅行生と中国人で欧米の方も多く、ナチュラルな京都弁が聞きたかったのだが歩いていて聞こえてくるのは英語か中国語かJC語だった。残念。
そんな中でも飲食店やその他サービス、神社仏閣の案内スタッフさん達は地元の方が多く、少しお話を聞くことが出来た。
そこで感じたのが、空気感の違いだ。
京都(人)のサービスは、東京と比べてさらりとしている。
さらりと言うのは決して雑だとか冷たいという意味では無く(むしろ非常に丁寧な仕事をなさる方が多い)、そよ風のような、という意味の「さらり」。
絹のような、「おこしやすぅ~」の「すぅ~」みたいなサービス。
一方東京は(先に述べたように観光地と比較した訳ではないが)重厚感がある。そして、
隠しきれない雑多さを感じる。
どこかに「この人も友人と汚く飲むことがあるんだろうな」と思わせる空気感がある。
生活感というか。
京都の女性は、きっとお酒は日本酒をグラスで飲んで、さらりと皮肉を言って、帰ってきた部屋は綺麗でいい意味で生活感がないのだ。
私は生活感がある方が好みだなと。
そして、この好みは育ちの問題だと思った。
同じ事を町並みでも感じた。
私はここ数年間、関東圏のいくつかの郊外を転々と居住を変えているが、駅周辺はその土地柄が現れるにせよ、少し外れて居住地区に入ればどこに行っても同じような住宅街が立ち並び、夕方時にはシャンプーと煮物の匂いがしてどこか懐かしさを覚えた。
個人経営のお店はお洒落を気取ってもどこか(客よ来い!!!)という意思を感じるし、開け放した入り口から(こっち見て!!!)という空気を感じる。
ところが京都においては、商店が少なく人が多く住むであろう地区に来ても懐かしさはなかった。2件に1件は日本家屋だし、道の幅は無駄が無いし、シャンプーの代わりにお香の(あるいは木の?)匂いがするし。
お店からは(入るなら入れば?)(ドアは暑いんであけてますけど?)みたいな。(まぁ入れば手厚く歓迎してくださるんでしょうけど笑)
全てがさらりとしている。
そういった訳で、関東生まれの私には、京都の女性は「きれい」「さらりとしている」とは思うが「かわいい」「惹かれる」とはなれなかったのであった。
あ、でも京都弁はすこぶるかわいいです。
(T.Ken)