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減量中のおむすびは悪である



「おむすびころりん」

「おむすびころりん」

おむすびを形容するとすれば、まずはこの表現が思い出す人が多いかもしれません。

昔話では、よくこの様に表現がなされますし、童話でもよく聞いたことがあるフレーズでしょう。

おむすびころりん。

非常にリズミカルで、軽快なステップで、聞いていて今すぐにでも食べたくなる、そんな響きをどこからか感じてしまう。

さて、そんな”おむすび”ですが、美味しいのは重々わかっておりますし、僕も生きてきてどれだけのおむすびを、にぎりめしを口にしたことであるのか。

それは家にいても、街中にいても、いつもおむすびは僕のすぐ隣り合わせにあった代表的な食べ物でありますし、殆どの日本人はこのおむすびという存在が食生活と密接に関わっていることだとは、もはやいうまでもないことでしょう。

おむすび界の横綱的な存在を誇る、塩、梅、に続き、西は昆布、かつお、しゃけ、その下に続く大関的な位置付けにあるのは、明太子でしょうか、、てんむすでしょうか、、はたまた高菜でしょうか、、、。

今となってはおむすびも、色々な種類が陳列されており、それは食事感覚のものから、もはやスイーツ的な意味合いで食べるようなおむすびもちらほらと出現しております。

そんな日本人には欠かせないおにぎりですが、ここでボディビルダー的に少し焦点を絞ってみていきましょう。


「おにぎりとボディビルダー」


おにぎりは栄養素的にみれば、最高です。それは単純に炊いたお米をサランラップとやらでただ丸めた物体なのだから、

それが小石程度のものなのか、隕石のような大きさなのか、の量の違いとして挙げられるでしょう。

ところで、ここで僕の幼少期のお弁当に遡りますが、まぁ僕の母はなんというか、性格がそうさせているのかは定かではありませんが、非常におにぎりの形が歪なのです。

何角形なの?と今となっても、そう思うほどですし、よく絵本で出てくる様なあの綺麗な正三角形をした理想としたおにぎりなんて、僕の弁当では出てきたことがありませんでした。

例えるなら、僕が食べてきたおにぎりは、まるで星座のような形をした、どこか歪な形をしたおにぎりで、どこを頂点にすればいいのかが非常に難しく、どこか口当たりが悪いおにぎりという感覚でした。

僕はその当時は特にそんなおにぎり的なものに、関してはあまり深く考えずに、ただただ目の前の物体を口いっぱいに頬張っていたのですが、ふとある日僕の部活メイトの子が僕の隣に座り、弁当箱を広げたらなんと絵本で出てきたような、まるで理想とするおむすびが出てきました。

おれのおにぎりとは異なって、形は綺麗だ、量もいいわ、おまけにアルミホイルでどこかupper的な高級感が溢れるおにぎりが、僕の目の前に現れました。

そんな初めての光景に、僕は終始部活メイトの弁当をまるで、骨董品をみるかのように無意識に見入ってしまいました。

そんな彼はというと、僕からしたらその高級おむすびと言われるものが、ただの当たり前の日常のおにぎりであって、特になんの感情に浸ることもないのです。

ただすぐに口に入れて、また部活を再開しようと消費的にすぐ消えて無くなるわけです。

で、一方の僕のおにぎりは何回みても、それとは大きく異なってどこか歪などこか、隕石のような形をしたおにぎり的なものにしか見えてしょうがありませんでした。

彼のおにぎりを見るまでは、僕が普段から食べているおにぎりはおにぎりでしたが、どうやらかそれ以降はそう感じられずには入れませんでした。

つまり、おにぎりではなくなった、と、、。

で、僕の中ではそのような体験を通して、おにぎり的なるものを作っている、他でもない我が母に朝朝、こう尋ねて見ました。

「●●の家のおにぎりはとても、綺麗な正三角形をしたおにぎりで口当たりが良さそうで綺麗だった。」

「ところで、母が作るおにぎりはどこか違わないか、なんて形が歪なのだと、、。」


僕もまだまだ青二才でしたのか、遠慮という言葉を知らずにずけずけと母親にどストレートで聞くのです。

すると、母親は「私の手は小さいから、綺麗に結べないのよ、、。」

となんとも、あっさりと、かわされたというか、僕の率直な疑問に真摯に向き合っていないと言いますか、なんか不親切な態度でことが終えましたが、いまだにその解答はわからないままです。

また、機会があればじっくりと議論を正月の年初めに聞いてやりましょうかね。(苦笑)

えぇどうでしょうか?
親不孝ものでしょうか??

えぇえ?笑

で、そんなあまり個人的にはあまりいい思い出がない、おにぎりですが、美味しいのは知っています。

で、特筆すべきはその軽さです。

軽い軽い、綿のように軽いのです。

想像をして頂くとわかると思いますけど、平らなお皿に150gのお米を炊飯器から装うのと、その炊飯器からサランラップまたはアルミホイルで包んだ150gのおにぎりとでは、質量こそは同じだけれども、全くその重厚感が違うのです。

レトルトの代表格の佐藤のご飯は、あれは確か総量200gですけど、いざ片手にサランラップをしてその佐藤のご飯を手に装ったものなら、またしても全くと言っていいほどに軽さが異なるのです。

もうこれは、純粋なご飯と言った一括りをするのではなく、おにぎりといういわば料理名があっても個人的には頷けれると思います。

だって全然、体感満腹度が一緒じゃないから。

で、そんな軽いおにぎりですが、タイトル通りの減量中のビルダーにとっては、それは悪であるということなんです。


軽いのは困るのです。

彼らは重いものを好みます。

これは食事だけではなく、何にだって当てはまります。

軽いよりは重いがいい、

スクワット60kより100kがいい、

成城石井よりは、マックがいい、

ステンレスよりも鉄がいい、

クラッシックよりもロックがいい、

というような感じでどこか重さを求めてしまうものが、我らボデービルダーであります。


そういうわけで、おにぎりよりは佐藤がいい


筋肉代行屋 J

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