
ちょっとしたギクシャク
昨日、同棲している彼女と、ちょっとしたことでギクシャクした。
普段ケンカや言い合いをすることは全くない。なんだか珍しい気持ちである。
ギクシャクの内容はあまりにくだらないため、もはや惚気だと感じてしまっても怒らないでほしい。
夜、ご飯を食べ終わってのんびりしていた時の話。
その前に前提として、うちの部屋には膨らんだ状態の風船が5個ほど、あちこちに転がっている。
自粛期間中に彼女が遊びたいとアマゾンで衝動買いし、膨らませて家で遊んだものの残骸だ。
遊び始めはフワフワと浮かぶ風船が物珍しく、バレーボールのようにトスし合ったり、扇風機の上で空中浮遊させたりして遊んでいたが、しばらくすると飽きてしまい、その後は忘れられたように部屋のそこかしこに捨てられる。
部屋で遊ばれる風船の運命なんだろうか。
長くなってしまったが、昨日の事件は、そんな状態の部屋の中で起きたことである。
彼女がソファに寝転がってスマホをいじりながらのんびりしている。僕は今度予定している旅行の新幹線の予約を済ませたところだった。僕はなんとなく、近くに転がっていたオレンジ色の風船を手に取り、スマホいじりには邪魔になるであろう顔近辺に投げた。
今までにも何度かしたことのあるくだらないちょっかいで、普段であれば「邪魔ー!」と叫んだり、勢い良くはたき返したりしてくる。それを期待していた自分も確かにいた。
ただその夜彼女は、スマホから目を逸らさず、その風船を心なく、非常に不快そうに、手であしらったのだ。
僕は別に構ってちゃんではない。(と信じている。)
でも気がつくと、ハサミを取り出し、床に転がった風船を、静かに切断した。プシュー、という音と共に空気が抜けた風船はみるみる萎んでいき、皺皺のお爺ちゃんのようになった。それを眺めた後、そのまま床に転がっていた風船をもう3個切った。
真顔で急にハサミで風船を切る、静かだが狂気じみた破壊行動。彼女が驚くのも当然で「え、え?」と言いながら呆然としていた。
一仕切り切り終わった僕は満足し、彼女の動揺をよそに衝動的に風船を切り続けていたことに気づいてハッと我に返った。
怒っていたのだろうか。
その後動揺した彼女は、仲直り?しようとしきりに話しかけてくれた。我に返っている僕は口では「全然怒ってないよー」とは言うものの、先ほどの行動の後では説得力が無さすぎる。意味の分からない彼女は黙ってしまった。
その後も僕は無言になるわけでもなく、口では「怒ってないよ」と言いながらも、すぐ折れたくなかったのか、しばらくはいつものように話せなかった。
普段遊ばなくなってもずっと部屋に残っていた風船に嫌気が差したのか、彼女が遊びたいからと買った風船を心なくあしらったことに苛立ちを感じたのか、よく分からないがあの時は確かに「それならもう割ってしまおう」と思ったのだ。
文章にするとあまりにくだらない。笑
自分の気の小ささにもびっくりする。
「風船」というところもあまりにしょうもなくて笑ってしまうが、今日気づいたことが2つある。
1つは、こうしたギクシャクを通じて、カップルの関係は真面目に、大人になってしまうんだろうか、ということだ。
風船を投げたのも、ある種のじゃれ合いであり、ふざけている。
そこには相手も一緒にふざけてくれるだろうという、相手への信頼感もあり、自分と一緒にふざけられる精神年齢だ、というちょっとだけ失礼な推察もある。
それがこういったギクシャクによって、「相手は嫌がるかもしれない」「幼いと思われるかもしれない」という思考が生まれ、お互いがふざけたじゃれ合いを仕掛けなくなる。
結果としてじゃれ合いの数は減り、その分まともな会話が増え、落ち着いた大人になっていくんだろうか、と感じた。
ある意味当たり前だけれど、少し寂しいような気もしてしまう。
2つ目の気づきは、あの後ギクシャクを完全に払拭したのは、僕がお詫び?にもう一回風船を膨らませるという、前向きかつ先程の破壊行動の真逆の行動を取ることだった、ということだ。
口で弁明したり、代わりに別のことで埋め合わせをしようとしても、風船に関わる嫌な行動はそのまま記憶として残り、モヤモヤが無くならない。
そこで、破壊してしまった風船そのものを肯定する行動を取ったことで、先程壊してしまったもの、ひいては先程のやり取りそのものを受容している、という気持ちを、相手に伝えることができたのかもしれない、と感じた。
あーくだらない。
でんじゃらずじーさんのボケぐらいくだらない。(これは褒め言葉。)
とりあえず、ギクシャクが晴れてよかった。