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「裸でも生きる」が教えてくれた、言葉の重み

約10年前、この本に出会ったことで、漠然と日本を出てみたい、出なければいけないと思うようになりました。バングラディッシュで戦っている同世代の女性がカッコよすぎました。

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26歳の夏、フィリピンの地に立った。

東京での最後の1年間は、飲食業の楽しさを忘れていた。
自分とのキャリア・レベルがかけ離れたシェフ、賃金未払いのオーナー、何より最後の3か月間は、周りのスタッフが結果を出す中、僕は結果を出せなかったのだ。
そんな折のリーマンショック。六本木にあったお店は閑古鳥となった。
全否定された感じがした。一方で「新しい目標という言い訳」を必死に探した。
それが「社会起業」という言葉だった。今、思うと「新しい何か」にすがることで、自己を肯定していただけだった。―――――――――――――――――――――――――


近年、日本と台湾の関係はとっても良くて、色んな所で「日台交流」「日台の懸け橋」等を目にしますし、実際、僕もこういった表現は使っています。
使いながらも、なんか流行りっぽいし、なんとなく違和感がありましたが、以下のブログを見て、その理由がわかりました。



ただただ、背筋が伸びました。

発言者が増えることで、社会により強い影響を与えることができると思うので、必ずしもこのような強い想いが必要な訳ではありません。
ただ、商業的側面、発言する人の利益のためには使われてほしくない言葉だなと感じました。

話は逸れますが、日本と台湾は国交がありません。ですが有難いことに、台湾で生活する日本人にとって、実は国交が無いことでの日常生活での不便は特にありません。

ただし、日本の戸籍には台北で生まれた僕の子供の出生地は「中華人民共和国台湾省」と書かれています。これは何とかしなければいけません。これが解決されたときに自分は何を感じるのか、楽しみです。

#推薦図書

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