ニュータイプ@発達編⑤
実母に会った。
久しぶりに孫に会えて嬉しそうな母。
ホテルにつき、息子が寝てから直近のことを話した。
「あー、もう、そういうのは詳しく聞きたくない。よく分からないし、聞きたくない」
でも聞いてほしい。
娘の苦しみを。
「だから本当に聞きたくないの。娘が辛い話聞くの辛いでしょ?」
そういえば息子がNICUに入ったときも、見たくないからお見舞いには行かないって言われたっけ。
「でも、もっとうまく扱えばいいのにって思うよ?実父みたいに骨折ってくるほどの暴力も恫喝もないんだから」
親身に聞く気はないけれど、アドバイスはする。
そのまま長い長い母の思い出話になる。
ほぼ武勇伝。それを誇らしく話す中で、殴られるより、怒鳴られるよりマシだから我慢すればいい、我慢が足らない、という言葉が飛び出す。
テンプレみたいな昭和の価値観のすれ違い。
これを擦り合わせるのは、今の疲弊した状態では困難で、困難すぎて。
話すのをやめ、心にフタをしました。
残すのは遠方から娘のヘルプにやってきてくれた感謝だけ、と自分に言い聞かせる。
多動衝動の強い母は話が終わらない。
マグロが息をすために話し続けるように、話さなくては生きていけないのだ、と、言い聞かせる。
翌日、ホテルから私だけ猫の点滴のために帰宅。
父さんはリビングでYouTubeをみていました。
直接話す勇気はなさそうなので、私も無視して黙々と点滴の準備にとりかかる。
チラッと見えた履歴には「マラソン」「マラソンストレッチ」「マラソン前」「ランナー食事」「前日の運動」などマラソンにまつわるものが。
あぁ、明日は父さんマラソンか。
昨日出て行ってから、家族の修復に関するものじゃなく、マラソンについて調べてたんだ。あきれるほどに父さんらしい。
「あのさ…これ、送ったから」
そう言って見せられたのは、現在地共有アプリ。
は?
「前、息子が俺の走ってるとこ頑張って応援してたやん?また応援したいかなと思って」
私たちの動向をさぐりたいとかではなく、本心から出た息子への親切心の顔。
遠方から母が来ている状況で?
家庭内がこんな状況で?
返事もせず、猫の点滴を終え、家を出ました。
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