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vol.20 私の中の小さい私の本当の声
ちょうどそれを書き終わったタイミングで、チャクラコーチの講義があった。@u.coconatsuさんはこんな話をしてくれた。
●「自分らしさに目覚める」ために、どういうプロセスを歩むか。
例えすり込み等があったとしても、『私は私で生きていく』ということ。
社会や環境の中で役割を持った自分ではなく、今の“本当の私”は何を感じているか。
●家族をどうにかしなきゃ、義務感で自分を閉じ込めていた。
でもその中にいながらも、私は私を生きていくということ。
家族という集団から離れるのは本当の解決ではない。
対立することなく、犠牲にすることなく、どうやって私として生きていくか、
が問われる。
自分のために立ち上がる力。目覚めるのは自分じゃないとできない。
私は涙をこらえられなかった。
最後に、こうアドバイスをもらった。
『「恐れ」を感じながら、すぐに答えは出てこなくていい。
今感じていることを、とにかく感じまくってあげる。
そしてそんな自分を、静寂の中で見守る。
すると、ポンッと出てくることが、本当の自分の答え。』
GW最終日は、遠方で友人の結婚式だったので、初めて子どもたちを置いて私一人で外出した。
行きの電車の中で、先日書いた家族のことを思い返す。
書いていたときは、ただただ一心不乱で書いたので、特に感じることもなかった。でも電車で一人きりになったとき、ふと
「 私、がんばったなぁ 」
と思った。
すると、講座で聞いた、
“本当の気持ちを感じることを、自分に「許可」してあげれば?”
という声が、頭のすみから聞こえた。
許可。許可?
あぁ、本当の気持ちを感じていいんだよ、
言っていいんだよってことか。。。
その途端、
『辛かった。ずっと嫌だった。
こんなこと言いたくなかった』
と、泣いている小さな自分のイメージが心に浮かんできて、電車の中で涙がじわりした。
・・・こりゃダメだ。危ない危ない。気を抜いたら、一人で急に号泣しだすところだった。私は本当はもっとそこで浸りたかったが、ふっと、その意識を引きもどした。
でも、そうか。そうだったのかぁ。そうだよね。
辛かったよね、自分。
幼いときから、お正月の親戚の集まりでは「お母さんは風邪。」と嘘をつくように強要されていた。親族内冷戦が勃発してからも、私だけは父に頼まれてずっと祖母宅参りを欠かさなかった。それぞれの家で、祖母の話題を避けること、母の話題を避けることに、いつも神経を使っていた。ため息が出るような状況でも、辛いとか嫌だと言ったことはなかった。
そうやって、ずっと本当の自分の気持ちを封じ込めていたのだった。
自分の奥底の本当の声に耳を傾けて、それを「そっかぁ そうだったんだね。」と受け入れてあげる。
これが『自分に優しくする』ということかな、とふと思った。