過去の想いを書き出してみる(祖父の死について)
投稿する内容は今から4カ月の前のことになる。急な話ではあるけれど、今年の2月に母方の祖父が亡くなった。享年88歳。私の実家の2件挟んで隣に住んでいて、3年前に祖母が亡くなってからずっと1人で暮らしていた。
私が物心ついた時にはもう常用の薬を服用していたけれど、特に治療が必要な病気をしていた訳でもなく、週2日の介護サービスにも意欲的に通っていた。
そんな祖父が急死した。3年ぶりに国外在住のおばといとこが遊びに来て久々に親戚の団欒のひと時を過ごした、そのわずか3日後だった。
今も祖父のことについて完全に立ち直ることができている訳ではない。しかし私自身の就職活動が落ち着いてきたタイミングで何らかの形でアウトプットできればと考えていた。
以下に、祖父の死から1週間後の日記の内容をそのまま記載した。
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じいちゃんの死から1週間。
色々な手続きが終わって〇〇(←私の一人暮らしの自宅)に帰ってきた。
正直まだ頭が混沌としていて、整理が付いていない。未だに何が起こっているの?と思っている。
本当はすごく悲しいはずなのに、妙に冷静さを保っている自分がいる。
確か、ばあちゃんの時もちゃんと泣きたいだけ泣けなかったな。
苦しい気持ちを全部出し切れないまま色々なことが終わっていったな。
一番分かりやすい悲しみ方をしていたのは母親(私の母、じいちゃんにとっては実の娘)で、じいちゃんの棺を火葬炉に入れる時には、これまでにないくらい号泣していた。
こんな母親の姿は初めて見た。
小さい頃、祖父母が自分より先に死ぬことを想像して泣いた。
実際にその時が来た。
もっと自分は泣くんだろうな、と思っていた。そうしたかった。
涙を流すことについて一番誰からも違和感を持たれない場面が、人の死や別れの場だと思うから。
(亡くなったのが)身近な人になればなるほど悲しむ暇もなく、次あれをしなければ・・・これもしなければ・・・と色々なことが押し寄せてくる。
それ以外にも、
この世の中まだまだ若いのに亡くなったり、事故や他殺、苦しい死に方をしている人は5万といる中で、畳の上で温かくして、ほとんど苦しむ間もなく逝くことができたじいちゃんは幸せだっただろう。
88年も生きられれば充分だろう。
孫たちが立派に成長したのを見届けたんだから。
ようやく、ずっと会いたがっていたばあちゃんの所へ行けるのだから。
・・・と悲しまなくていい理由を探している自分がいる。
(数時間経過後、日記の続きの内容)
でも思い出すと、まだ自分の中にはやっぱり涙は残っていたんだ、と実感する。
就活が終わった時に、ちゃんと恩返ししたかった。
内定報告をしたかった。
遠方とは言わないから、車で少し遠くまで一緒に出かけたかった。
ばあちゃんの時も、勿論辛かった。
でもその時は残されたじいちゃんを守っていくぞ、という使命感があったからこそ、乗り越えられたように思う。
(一人暮らしの祖父宅へ)ご飯を届けに行ったり、一緒に買い物に行くことが喜びだった。それがなくなった今この現状にすごく違和感を感じる。
(これまでは)実家に帰省した時、祖父母宅に行けば当たり前に鍵が開いていて、じいちゃんがリビングにいた。夜に夕食を届けに行った時も電気がついていて、窓を叩いたらじいちゃんがひょっこり顔を出すことに安心感を覚えていた。
(今は)祖父母宅に行っても誰もいない。
窓の内側に暗闇が広がっている。
それが、怖い。
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日記は以上の内容で終わっている。
それを踏まえると、今は当時からかなり気持ちの整理もつき、冷静に過去を見つめることができているように思う。
苦しいことの連続だった就職活動も、どこか「祖父も応援してくれているはずだから。」という思いで乗り越えることができた。
きっと亡くなってからも、孫のことを守ってくれていたはずだ。
供養の形は人それぞれだ。
誰もに看取られず一人で最期を迎えたあの姿だけが祖父の全てでは、決してないのだから。
24のいい年した大人になっても自分の祖父母を「大好き」だと声を大にして言える、そんな自分に誇りを持って生きようじゃないか。
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