ヴィトゲンシュタイン『確実性の問題』より「信念の基礎」
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今回はヴィトゲンシュタイン『確実性の問題』からの引用とそれについての個人的な考えをお話ししたいと思います。記事中には私個人の偏見や認識の誤りも含まれていると思います。その点のご理解のほど、よろしくお願いいたします。
学問・思想・宗教などについて触れていても、私自身がそれらを正しいと考えているわけではありません。
序文
信念は私たちが正しいと思っている考えのことですが、私たちは私たちの信念をどのように固めているのかということを考えていくとぶつかってくる問題があります。
引用文
感想
1968年、ドイツの哲学者ハンス・アルバートは哲学者のカール・ポパーの考えを引き継いで、ミュンヒハウゼンのトリレンマという概念を提示しました。ミュンヒハウゼンのトリレンマとは、論理学や数学の分野でも、受け入れられた仮定に訴えなければ、いかなる真実も証明することが理論的に不可能であることを示す思考実験のことです。証明を完成させるには、三つの方法しかないとしました。
循環的論証
ある命題の証明が、その命題が真理であることを前提としている。
逆行的論証
各証明がさらなる証明を必要とし、それが無限に続く。
独断的論証
論証によらない単に主張され、受け入れられている教訓に基づく。
ヴィトゲンシュタインの引用文も、究極的には人間の信念が、論証されていない信念を基礎としているということを示していると思います。
2000年代の初めに、報道の真実性を高めるためとして、ファクトチェックという概念が登場しました。ファクトチェックという概念は、20世紀の科学哲学の議論を無視しており、私たちは本当に事実の真偽を正しく判断できるのかという問いに明確に答えることなく、報道機関が事実の真偽を正しく判断できるという論証されていない前提に従っています。
ヴィトゲンシュタインの提示した命題が、意図的に無視されているのか、意図せずに無視されているのかは知りませんが、いずれにせよ、報道機関によるプロパガンダとしてファクトチェックが利用されている可能性について、私たちは懸念を表明する必要性があります。
ファクトチェックは実は何ものによっても基礎づけられていない信念であるということを知っていながら知らないふりをしているものだとしたら、そして私たちにそれを疑う力がないとしたら、私たちは彼らのプロパガンダに利用されるしかないとしか言えないかもしれません。
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最後に
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