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フリーメイソンとロシア革命の暴露

こんにちは。いつもお越しくださる方も、初めての方もご訪問ありがとうございます。

今回はYouTubeチャンネルの動画「フリーメイソンとロシア革命の暴露」の翻訳をします。翻訳のプロではありませんので、誤訳などがあるかもしれませんが、大目に見てください。翻訳はDeepLやGoogle翻訳などを活用しています。

学問・思想・宗教などについて触れていても、私自身がそれらを正しいと考えているわけではありません。

序文

今回はフリーメイソンとロシア革命の関係についてのYouTubeの動画をみつけたのでそちらを紹介します。

フリーメイソンとロシア革命の暴露

<注意>
古い動画ですので音量がうまく編集・調整されていません。
音量を下げて聞いてください。

大東社(訳注:フランスのフリーメイソンロッジ)は、その傘下のロッジを通じて、他の多くの国々にも死と革命を広めた。フリーメイソンは、1917年2月15日にロシア皇帝に退位を迫り、もし拒否すれば家族を殺すと脅した。このことは、南家の親友であったアナ・ヘベローヴァが回想録の中で明らかにしている。ロシア語、英語によるドキュメンタリー映画『ロシア革命』が認めている。

「政治家、大実業家、軍部がロシア皇帝との妥協点に到達できず、陰謀という考えに引きずられた。表向きは政敵でも、裏では手を結んでいることが多いのだ。」

「1912年頃、サンクトペテルブルクに設立されたフリーメイソンの秘密組織「ロシア人民の大東社」のメンバーである。この組織は最高評議会によって管理され、300人以上の会員を擁していた。1916年、人気弁護士のアレクサンドル・ケレンスキーが最高評議会の議長に就任した。彼は他の大東社のメンバーとともに反ロシア皇帝のクーデター計画を育てた。」

この映画の制作者は、真実を伝えるべき時が来たと考えたようだ。ボルシェヴィキの多くは、レーニンやトロツキーと同様にフリーメイソンであった。レーニンは31階位のフリーメイソンで、フランスのロッジ「芸術と労働(Art et Travail)」のメンバーであった。レーニンはまた、1914年に最も悪質なロッジである大東社ナイン・シスターズの会員になった

フリーメイソンロッジであるナイン・シスターズ(ヌフ・スール)は1776年、イルミナティと同年に創設されています。

もちろん過去の遺物ではありません。

感想

以前にも紹介したようにロシア革命は二月革命と十月革命で構成されていますが、二月革命後に権力を手に入れたアレクサンドル・ケレンスキーもフリーメイソンだったことで知られています。もちろん、これも何度も紹介していますが、レーニンも、トロツキーもフリーメイソンのメンバーです。

日本の戦後教育では絶対に教えてもらえないこと、そして書店や図書館でさえもほとんどそういった情報を手に入れることはできません。日本は戦後の黒塗りの教科書の延長線上の教育を受けているわけですから当然ですよね。

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最後に

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