オホーツクのアナウンサーの日記(2024年7月12日)

7月12日(金) くもり 驟雨
きょうからまた1泊で実家に滞在する。ようやく学習して、きのうの昼までにできうる支度はできていて、朝に慌てずに済んだ。いつも、なにか一つ二つ、取りこぼす。きょうは大丈夫。

網走のラジオ局に着いて生放送の準備をしていると、きょうの天気が下り坂であることを知った。取りこぼし1つ目、天気予報を見忘れていたこと。取りこぼし2つ目、雨よけの上着(しかも、いつも車に載せているのにきょうに限っておろしていた)。結局取りこぼしている。

みるみるうちに空が暗くなり、アスファルトに叩きつけるような雨。3時間の生放送のうち、強弱がありながら次第に止んだ。
斜里に向かう。途中、雨に当たった。
なんとか止んでくれないか。

5時前に実家に着いて、母と少し話して、出かける準備をするが、雨が気になって仕方がない。バチバチバチと屋根から音がする。
なんとか止んでくれないか。

メイクとヘアセットに小1時間かかっていた間、雨が降っていた。なんとか止んでくれないか。
小1時間、パソコンで同じ曲を繰り返し聞いていた。どうでもいいが取りこぼし3つ目、パソコンの電源ケーブル。
服を着替えて、道の駅へ向かう。
雨がやまない。

傘をささず、外套も着ずに、屋外で活動するような気持ちにならないような降り方。一瞬でびしょ濡れになるし、足下は滑るし、小道具の扇子が壊れかねない。
せっかく、こんやは、道の駅での夜市でYOSAKOIソーランを踊らせてもらえるのに、こんな雨になってもうた。
夜市のスケジュール、メンバーのスケジュール、雨雲レーダーの予想、ギリギリのポイントを探って35分繰り下げたが、時間が近づいてもやみそうでやまない雨。
私はマイクを持つため、故障を防ぐため屋根の下から出られないことになり、雲の切れ目は見えるが雨はしっかり降り続ける中、踊り子をそのシャワーの下へ送り出した。

なんとか止んでくれないか。

演舞前にどうしても話さなければならないことがあって、私はそれを屋根の下で雨に当たらずに声に出す。その間にも、踊り子と旗士は雨に濡れている。傘をさしているとはいえ、お客様も雨の中に立っている。
2曲目に入るころ、19時35分すぎ、雨が止んできた。私もやっと屋根の下から出ることができて、この日デビューの最年少を私の隣から隊列の最前へ送り出した。

ああ、この新顔が、雨をやませたのかなあなどと少し思うなどしながら、2曲目があっという間に終わった。

雨はなんとかやんでいた。

打ち上げがあったが、手持ちがあまりになかったため欠席して、モノを受け取る用事があって別のコミュニティへ向かった。着替えはしたがヘアメイクはそのままで、何も知らない人が見たらギョッとするだろう。しかしこんやは、このコミュニティの人々の何人かが道の駅に来てくれていたから、こんなあべこべの女を素直に受け入れていた。3歳の少女だけには違和感を抱かれていたのは仕方なかった。ちょっと笑えた。

約束の場所へ行き、そこで少しの時間を過ごしているうちに、ほかでもない私がこの町で生まれて育ったのはなぜなのかとか、いまもこの町に関わっていることにどんな意味があるのかと考えていた。
生まれて育って、商店街にあったアンドウさんに何度も行ったことがあって、田中書店と神田書店を使い分けていて、吉川商店で駄菓子を買って、ガトウさんのケーキが好きだった。
生まれて育ったからといって、流氷の上を歩いたことはないし、クマを食べたことはないし、知床岬を間近で見たことはないし、ねぷたを作ったこともない。

こんな言い方をするのは絶対に正しくないと分かっていながら、ほかに言葉が見つからなくて、というか、探していたら気持ちの鮮度が落ちると確信して、この人たちにならこの言い方をしても最悪の意味には受け取られることはないだろうと信じて、思ったことをそのまま言った。たぶん皆一様に苦笑いしていたが、もう言ってしまったものは仕方ない。どこから視点の言い方なのかという表現だったが変な意味ではないから許してほしい。みんな斜里に来てくれてありがとう。

斜里町では、かなり大きく分けて2つのコミュニティに関わっていて、その一方の中で細分化されているコミュニティにも関わっている。住んでいながら関わっていていれば2つの境界線はもう少し溶け合うのかもしれない。いまは、ほとんど交わっていない。もうちょっとおもしろくしたい。

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北海道の東側、道東のオホーツク海側でアナウンサーをしている、伊藤ゆりかです。東京の50分の1の人数が、東京の5倍の面積に住んでいるという「隣人までの距離が遠い」この地域で、「あなたの隣のアナウンサー」を名乗って生きています。


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