94857文字の束
94857文字を紙の束にして手に取ってみると、その厚さと重さにびっくりした。
ばら撒かないようにそっと持って、四隅を整え封筒に入れる。
私の書いた94857文字は誰かの目に留まることはないし、当然お金になるなんてこともない。
でも私はこの94857文字が何よりも価値があるものだと思った。
私が諦めず、最後まで書き続けた世界に一つしかない物語だからだ。
私が初めて小説家になりたいと思ったのは小学生の頃。本好きな友人がいて、私もその子を真似するように本を読み始めた。教室で一人本を読んでいる姿は、誰よりもかっこよく見えた。
当時熱中して読んでいたのは、青い鳥文庫の『黒魔女さんが通る‼︎』シリーズだ。全巻持っていたし、休みの時間はいつも読んでいた。同シリーズの『作家修行!』と題された本を読み、小説の書き方や一人称、三人称なんていう言葉を知った。
私は優越感に浸っていた。周りの子が知らないであろう言葉を知り、「小説家」なんていう職業を目指している自分に。
小学6年生になり、私は小説を書き始めた。内容は全く覚えていない。それでも、大学ノートに書き綴り、友人に読んでもらっていた記憶がある。「おもしろい」と言ってもらえた記憶もある。「人間は自分に都合のいい記憶しか覚えていない」というのは当たっているのかもしれない。
私はその小説をとある小説コンクールに応募した。原稿用紙に小説を書き写し、封筒に入れ、郵便局に持っていった。私は自分がかっこいいと思った。
だが私宛に連絡が来ることはなく、いつの間にか小説のことなんか忘れ、一つの思い出となっていた。
小説を読むたび、私も小説家になりたい、と今まで何度も思ってきた。その度に思いついた小説を書き始め、「書いている自分」に満足し、現実を見て放棄する。その繰り返しだった。
小学6年生の時、文章力とか現実とか、難しいことは一切考えず、小説を書くことに夢中になっていたあの時から、私は一作も小説を書き上げていなかった。
94857文字の束を見て、達成感とともに安堵感が湧いてきた。「書き上げられた」ことに対する安堵感だ。長かった。放棄したくなった。でも、最後まで書くことに夢中になれた。
私は小説家ではない。ただの大学生。
ただの大学生が趣味として書く小説に、正しい文章も豊富な語彙も必要なのだろうか。
物語は書き始めて、書き終わらなければ完結しない。だからどんなに文章が下手くそでも、語彙が浅くても、ストーリーが平凡でも、書き上げたらそれは小説になるのだ。
94857文字の束は、誰の目に留まることもなく私の部屋で眠っている。でもそれはただの紙の束ではない。
私の這いつくばる根性と勇気の束だ。