砂泳 【星野源 いのちの車窓から2 感想】
ゆっくり、じっくり、源さんの紡ぐ言葉を噛み締めながら読んで、余韻に浸っていたら読了してからまあまあな時間が経ってしまった。今回はこの本の中でも特に刺さった「言葉の排泄」について書こうと思う。
私は物心ついてから今までずっと、情報を受け取る時に色んなことを考えてしまったり、謎の強い正義感が湧いてしまうことに対して悩みを抱えている。
他人のことなど言ってしまえばどうでもいいはずなのに、人が悪いことをしていたらそれは絶対にダメなことだ!とイライラしてしまうし、嫌な事件をみたり聞いたりした時には犯人に対して強い怒りを覚え、被害者の気持ちを勝手に考え出して止まらなくなって、心を痛めたり、地震が起きたりJアラートが鳴ったりしたらもうそこから5時間ぐらいはどうしたらいいのかなどを調べだして止まらなくなる。
検索履歴は南海トラフでいっぱいだ。
とにかく、目に、耳に入った情報全てを脳に入れて、全て考え込んでしまう癖がどうにも昔からやめられない。そのせいで処理しきれなくなって定期的に爆発してしまうので、小さな頃から今まで何度も何度もこのことで両親には「スルーしろ」「自分のことだけ考えろ」「いいかげん自分でコントロールできるようになれ」などとたくさん怒られてきた。でも今までどう頑張っても何をやってもその考え方を変えることはできなくて、ずっと苦しくてどうやったらこの現状から抜け出せるのか考えても考えてもわからなかったけど
この文を読んだ時、やっと救われた気がして涙がボロボロ出た。
こんな自分がずっと大嫌いだったけど認めるって選択肢があるんだ、褒めてもいいんだ、と少し嬉しくなったのを覚えている。でも、私は自分のことを褒めたり、認めたりするのが大の苦手なので、今すぐ自分のことを認めることができなくても、やっと前に進む方法がわかったんだからできることから少しずつでも行動してみよう、と源さんがやっていたように、しんどいこと、辛いこと悲しいこと、楽しいこと嬉しいこと、心にある感情、大きいものから些細なものまでぜーーんぶ書き殴って、脳にある言葉を全て「排泄」して、シュレッダーにかけてみた。
私はこの考え方のせいで小さい頃からずっと、ずっと砂の中を泳いでいる感じがしている。(私は勝手に砂泳(さえい)と呼んでいる。)うまく息ができなくて、手足を必死に動かしても重くて上手に進めない。砂で何も見えないから、どれだけ泳いでもどれだけもがいてもずっと同じところをぐるぐるしているような。これまでうまく泳げるようになるどころかどんどん砂の量は増えて苦しかったけど、この「言葉の排泄」を読んで、自分の気持ちを「排泄」してみて、やっと、やっと砂の量がちょっと減って少し息がしやすくなったように感じる。砂の中をうまく泳げるようになるのが、はたまた砂の中から完全に出れるのがいつになるかはわからないけど自分の気持ちに向き合ってみようかな、と思えた。
源さん、いつもありがとう。私の心の砂を減らしてくれて本当に本当にありがとう。