過去と向き合い、日常に感謝する/2024年8月15日
今回、吉野千明さんの以下のnoteを読み、心動かされて、初めて記事を書くことにした。普段は文筆業と全く関係ない仕事をしており、noteの使い方も不慣れで拙い記事になること必至だが、自分なりに当日を振り返ってみたい。
8月15日、終戦記念日。2つの理由から、例年と違う感覚で、この日を過ごすこととなった。
1つ目の理由は、映画『オッペンハイマー』のリバイバル上映を見たこと。
『オッペンハイマー』は「原爆の父」ロバート・J・オッペンハイマー博士の栄光と没落を描いた伝記的作品。クリストファー・ノーラン監督の今年度のアカデミー賞受賞作として、知っている方も多いと思う。春に一度観てはいたが、週末を広島で過ごすので、改めて観ておきたくなったのだ。
観終わった後、越えてはいけない一線を越えた世界に自分たちは生きていること、そして、核という破滅的脅威は今も確かに存在していることを、改めて感じずにはいられなかった。
もう一つの理由は、椋本湧也さんの「日常をうたう」を読んだこと。
この本は吉野さんの上述のnoteの通り、現代を生きる27人が、椋本さんのお祖母さんの戦時中に関するインタビュー音声を聴き、それから書いた8月15日の日記を、一冊にまとめたもの。吉野さんがきっかけで、初めてこの本の存在を知った。最初の方は音声で聴いていたが、聴いているうちに手元に置いておきたくなり、購入。ちょうど8月15日に読み終えた。
日記に描かれているのはどれも個人的な一日だが、戦時中の話とのギャップが、却って何気ない日常の美しさを際立たせていた。
読後の余韻に浸りながら周りや自分自身に意識を向けると、家族との談笑、好きなことに打ち込めること、ひいては、些細なことに凹んだり嫉妬・羨望を抱くことさえも当たり前でないことに気付かされ、それら全てが有り難く、愛おしく感じられた。
終戦から、およそ80年。世界では戦争が続き、核の恐怖がちらつくことさえある。今を生きる一人として、過去の犠牲に鎮魂の祈りを捧げつつ、戦争の記憶から目を背けず、それらと向き合っていきたい。そして、当たり前が当たり前でないことを忘れず、日常に感謝していきたい。それが、個人ができる小さな一歩だと信じて。あなたと、あなたの大切な人の幸せを祈りながら。
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最後になってしまいましたが、いつも日々のいろんな「豊かさ」をシェアしてくれ、今回もこのような形で日常の美しさ・尊さに気づくチャンスをくれた吉野さんに、心からの感謝を。ありがとうございます。