あの日の思い出と、性教育と。
小学6年生の秋のこと。私ははじめて、アダルトビデオというものを観た。
近所に住んでいたSちゃんが、ある日クラスの女子数名を集めて、ひそひそ声で言ったのだ。
「お兄ちゃんの部屋で、エッチなビデオを見つけたの。今日学校が終わったら、みんなでうちで観ない?」と。
みんな、「アダルトビデオ」などという名称すら知らない少女だった。
静岡の片田舎で育った素朴で純朴な女子たちは、それを聞いて、上を下への大騒ぎになった。
「キャーーーそれってヤバくない!?」
「そういうの小学生が観たら逮捕されないの?」
「こわーい!」
「Sちゃん観たの!?」
女子たちはイケメンの転校生がやってきた時くらいテンションが上がっていた。
そんな女子たちに、落ち着き払ったSちゃんが言う。
「まだ観てない。一人じゃ怖くて。今日ママはレッスンだから、3時から5時まではお部屋から出てこないの。お兄ちゃんも学校に行ってる。だからその間に、私の部屋で観てみよう」
Sちゃんのお母さんは自宅でピアノ教室を開いていた。レッスン中は自宅の一角の防音室から出てこない。お兄ちゃんはもう高校生で、帰宅も遅い。
要するに、Sちゃんの部屋は、誰にもバレずに子供たちだけでエッチなビデオを観る場所として、これ以上ない好条件を備えていた、ということになる。
私は迷わず行くことにした。
その頃の私は、アダルトビデオやエッチなことにはまだ全然興味はなかったけれど、みんなでキャーキャー言いながら、ちょっとだけ悪いことをする、というイベントにはひどく心惹かれた。
小学生の女子というのは、友達とキャーキャー騒げる話題や場所が、3度の飯より好きなのである。
放課後、Sちゃんの家にはなんと9人もの女子が集まった。
誕生日会のような賑わいに、Sちゃんのお母さんは少し驚きながらも、ニコニコと出迎え、ぶどう味のハイチュウをみんなにくれた。そして生徒さんが来た後に、防音室へと入っていった。
女子たちのボルテージは、この時最高潮となった。Sちゃんのママの背中が防音室に消えた瞬間、その日1番の「キャー」が9人の女子たちの間で生まれた。
今思えば、「Sちゃんの家でエッチなビデオを観る」というイベントの中で、この瞬間が一番楽しい時間だった気がする。
その後、大きなショックを受けることになるとも知らずに、私たちは屈託のない笑顔で、ただただ「キャーキャー」と騒いでいた。
Sちゃんの部屋で女子たちが待っていると、Sちゃんがお兄ちゃんの部屋からアダルトビデオ(当時はVHS)を持ってきた。Sちゃんは、まるで汚いものでも持つかのように、人差し指と親指の先でビデオを摘んで、自分の身体から離すように、腕を伸ばしてビデオを持っていた。
途中、指が滑ったのか、ビデオが床に落ちた。女子たちは、のけぞるようにして逃げ惑い、少しでもビデオから離れようと、右往左往しながら、また「キャーキャー」と騒いだ。
こうなるともう、アダルトビデオというより、見たら死ぬということが決定している呪いのビデオのようである。私たちはもはや、ビデオの中身よりも、キャーキャー騒げるネタを探すことの方に興味の対象がうつっていた。
しかしこの時になって、私は若干焦り始めていた。
どうしよう。全然観たくない。
さっきまでは、みんなでお笑い番組でも観るかのような気持ちでいた。ただただ楽しくて、何が面白いんだか、涙が出るほど笑いながら、ジェットコースターに乗った時のような叫び声をあげていたはずなのに。
観てしまったが最後、この楽しい時間が終わってしまう予感をなんとなく感じながら、私はSちゃんの部屋のカーペットを眺めていた。
そんな私の憂鬱をよそに、鑑賞会が始まった。Sちゃんがビデオをデッキに挿入すると、その日何度目になるか分からない「キャーーー」が生まれた。そしてこの「キャーーー」を最後に、私たちの楽しげな声は失われることとなる。
ビデオを見た結果どうだったか。
単刀直入に言おう。
正直、ほとんど覚えていない。確か、再生したらいきなりSEXが始まっていた。たぶん、ごく普通に。
でも3分もたたずに、私たちは鑑賞をやめてしまった。3人くらいの子が泣いていた。私はといえば、涙こそ出なかったものの、身体は恐怖の二文字に支配され、一言だけやっと、「ゲボ吐きそう…」と言えた。
隣にいたMちゃんが言う。
「うん、私もゲボ出そう」
実際吐き気があったわけではないけれど、小学生にとって「気持ち悪い」という言葉は、「気持ち悪い→超キモい→ゲボ」の三段活用で使用され、気持ち悪い物事の最上級を表す言葉が「ゲボ」だった。
Sちゃんのお兄ちゃんの名誉のために言うと、内容はたぶん、レイプなどの暴力的なものでは無かったし、汚いと思わせるようなアブノーマルなものでもなかったと思う。いや、そもそも3分くらいしか観てないので、その後の展開がどのようなものだったのかは、今では分からない。でも、たった3分とはいえ、男女が激しく絡み合う様子は、それを初めて見る子供たちにとってはあまりにも生々しく、刺激的すぎた。
私も、そしておそらく私以外の8人も、ドラマや少女漫画のベッドシーンに毛が生えた程度のものを想像していたと思う。
それはどこか神秘的で、愛に溢れ、切なく美しいシーンでなければならなかった。
それがどうだ。実際の男女の営みの、いかに動物的なことか。はっきりいって、男女の愛のシーンというよりは、相撲を観たのに近かった。ぶつかり稽古さながらの体当たりシーンに、私は「愛」も「切なさ」も感じられなかった。男の人の体の下でわめく女性は、とても幸せには見えない。苦しげに叫ぶ声が、快感から来ている(演技かもしれないけれど)ものだとは、到底思えなかった。
私たちは、想像と現実のギャップに打ちのめされた。
いつかお姉さんになったら、私も好きな男の子とそういうことになるのだろうかと、少女漫画を読んではその都度なんとなく想像していたけれど、こんなことなら私は一生しなくて良い。
本気でそう思った。
✳︎
Sちゃんの家に来た時には、だれかの誕生日会に参加するかのようなテンションだった私たちは、まるでお通夜のようなテンションでSちゃんの家を後にした。
しかし事件はそれだけでは終わらなかった。
テンションがダダ下がった私たちは、口数も少なく、一人、また一人と、自分の家の方向へ散っていく。
私は、隣の家のKちゃんと一緒にトボトボと歩いて帰路に着いた。
道の樹々が色づいて、まぶしかった。普段は目に留まらないその光景が、その時ばかりは殊更さわやかに見えて、私の心を癒す。
私たちの横を、自転車で近所のおじさんが駆け抜けていく。おかえり、と微笑みかけて。
世界から切り離されたようなSちゃんの部屋。そこで恐ろしいものを見て、何かが変わってしまったような気がしていたけれど、一歩外へ出れば、変わらない日常の風景があることに安堵した。さっき見たアレは、悪い夢だったんじゃないかという気がしてくる。
しかしそこでKちゃんが言った。
「ヤバくなかった?」
私は現実に引き戻された。げんなりしつつ、それでもやっぱり感想は共有しておきたかった。小学生女子は、「共感しあうこと」が3度の飯より好きである。そして即答した。
「ヤバかった。超キモすぎた」
小学生の貧弱な語彙力で、必死に共感しあう。キモいよね、超キモいよね。ゲボだよね。うん、超ゲボ。
そしてまもなく私たちの家が見えてくる、という辺りに差し掛かった頃、Kちゃんが意を決したように、声をひそめて言った。
「ね。ていうかさ、ママとパパがあんなことして子供作ったなんて、信じらんないよね」
………ん?
Kよ。お主、何の話をしている?
パニックがようやく落ち着いてきていた私の頭が、また混乱し始めていた。私は曖昧に頷く。
Kちゃんが続ける。
「ほんと、超気持ち悪いよ。けどさ、うちのパパとママも、まだ時々してるみたいなんだよ。私、聞いちゃったことあるの。ああいう声」
………え!?!?!?
この時の私の衝撃を、どう表現したら良いだろうか。
両親ってそういうことするの?
ていうか子供が生まれるって何の話??
そう。私はこの時まで知らなかった。子供ができるメカニズムを。
結婚したら、ある日突然お腹の中にポコっと命が宿るものだと思っていた。
そして私の中で、両親というものは、エッチな事柄から一番遠いところにいる男女だった。
たまに喧嘩もするけれど、基本的には仲の良い両親。二人は確か、恋愛結婚だ。
それでも。
いやそれでも。
親というものは、結婚したとたんにそういうことをしなくなる生き物なのだと勝手に思い込んでいた。なぜそんなことを思ったのかといえば、それはもう、うちの両親が、性的なものを一切感じさせない二人だったからという一点に尽きる。
手を繋いでいるところすら見たことがない。
その二人が、「手を繋ぐ」もすっ飛ばして、裸で相撲まがいの密着をするなんて。
あり得ない。あり得ない。
Kちゃんは、誤解のたっぷり含まれた、しかし大筋としては合っている、性行為と生殖の仕組みを私に簡単に告げて帰って行った。私は全く理解ができなかった。
——おとこの人のアソコから、おんなのひとのからだの中に、あかちゃんができるおしっこみたいなのを入れるんだって——
Kちゃんの話は、おとぎ話のように現実味がなかった。
Sちゃんの家で見たビデオはモザイクがかかっていて、男女の局部がどうなっていたかなんて、全くわからなかった。
この日私が手に入れた性に関する知識は、曖昧で、正しいのか間違っているのかなんてお構いなしで発信されるネットニュースより酷いものだった。
そして私の頭には、子供を作る行為=気持ち悪くてイケナイ事という認識がべったりとこびりついてしまった。
✳︎
私は家に帰って、痛む頭を抱えて姉の部屋に転がり込んだ。
「お、お、お、お父さんとお母さんが裸で相撲をしてたら、お姉ちゃんどう思う!?」
直接的な表現を避けたために、訳の分からないことを尋ねてしまった。
姉は私の頭がおかしくなったと思ったことだろう。盛大に怪訝な顔をしながら、
「なにそれ?変な宗教?」
と言った。
私は「宗教」というものがよく分からなかったけれど、宗教でもなんでも良いから、理由があってほしかった。
とにかく信じたくなかった。世の中の男女が、皆あんなことをしていることを。そして、父と母の夜の営みの結果、自分が生まれたということも。
その日から私は大人に対して疑心暗鬼になった。
近所の夫婦も、そこらへんを歩いているカップルも、みんなみんな汚らわしいと思った。何食わぬ顔をして、裏ではあんなことをしているのか、と思うと苦しかった。
あまつさえ、国民的マスコットであるサザエさんとマスオさんにすら嫌悪を抱いた。タラちゃんがいるということは、彼らは子作りをしたということだ。
日曜日の18時30分、ブルータスに裏切られたカエサルよろしく、「サザエ、お前もか」と呟いた。完全なる思春期こじらせ女子の誕生である。
そこから私は、友人同士の会話でも、性的な話題をなんとなく避けるようになってしまった。
中学生になって、周りにチラホラと付き合い始める男女が現れた。どこまで行った、だのという話題に、キャーキャーとはしゃぐ振りをして、内心恐ろしくも思って、トイレに行くフリをして輪を離れた。
そんな私にも好きな男の子がいた。彼はとても硬派なタイプで、女の子と話している所を見たことがなかった。あるいはそういうタイプだから、彼を好きになったのかもしれない。「男」を感じることが怖かった。だから、彼のことは好きでも、私と彼の間に会話らしいものが何もないことは、私を悲しませるどころか安心させた。
それでも彼のゴツゴツとした手や大きな喉仏を見ていると、自分の体との違いに愕然として、恥ずかしいような、切ないような、悲しいような気持ちになった。今思うと、私は彼のことを本当に好きだったのだろうか。女の子に興味のなさそうな子だから好きになったような気になっていただけかもしれない。
こうして私は、色々なことを拗らせたまま中学3年生になった。
正しい知識を身につけるチャンスはあった。中2か中3の頃、生殖についてという保健の授業があった。しかし私は、先生の話を聞いて、ますます混乱するしかなかった。混乱した結果、大胆にも私は「保健の教科書も、先生の話も信じない」という選択をした。
男性の体の一部が女性の体の中に入るだなんてのは、女性がよく言う、
「出産は鼻の穴からスイカを出すようなもの」
というセリフと同じくらい、大袈裟に表現しているものだろうという認識しか持てなかった。
だから、教科書はチョイと大袈裟に表現してるだけで、たぶん本当は、ほんのちょっと接触させるくらいで受精可能なのだろう、と勝手な解釈をしていた。
(余談だが、私には2度出産経験があり、その痛みはいずれも「鼻からスイカ」以外のなにものでもなかった。初めてこの表現を思いついた人は天才だと思う)
話を戻そう。そんな感じで、性というものに無知すぎる私に、中学3年生の時、大変なことが起こる。それは春に修学旅行で行った京都の宿で起きた。たぶん、他の人にとっては意味のわからない、ささやかすぎる出来事。でも私は、焦りと混乱で、恒例の夜中の枕投げにも集中できなかった。
このささやかすぎる大事件については次回書くとして。
こんな少女時代を過ごした私は、決めていたことがある。
もしも自分に子供が生まれたら、「性」に関して正しい知識を身につけてあげたい。
いつか私の知らないところで、性的な情報に出会ってしまった時、無駄に傷つくことのないように。日曜18時30分に、楽しくサザエさんを観られるように。
こうして私は、いくつかの書籍に基づいて、6才と4才の幼い我が子たちに性教育をしようと考えた。
できることから少しずつ、実践してみている。それらのことも、都度紹介できたらと思う。
なんの参考にもならないかもしれないけれど、この記事がどこかの誰かの目にふれて、その人の大事な子供への性教育に少しでも役立てば幸いです。
それではまた、次回。
西野市香