音ゲーの「センス」について思うところをつらつらと書きます
どうも、うっでぃと申します。
日々ボルテしかやっていないつまらない人間ですが、よろしくお願いします。
今日は何となく、「センスがある/ないって何なんだろう、あったら何の得があるんだろう、無かったら何の損をするんだろう」というようなことをふと疑問に思ったので、なかば随筆のような形で考えたことを書き連ねていきます。
先に断っておきますが、お手本のような見切り発車です。よろしくお願いします。
「センスがある/ない」って何?
「センス」という言葉について辞書で引くと、大抵は以下のような解説に落ち着いています。
まぁそうですよね。センスが良い/悪いという時には「何とは説明できないけれども良い/悪いと感じられる」という意味合いになりますね。
このことは説明するまでもなく何となく誰もが把握してこの言葉を使っているわけで、つまり「センス」についてはセンスで何となく理解できているということですね(……果たしてそうでしょうか…………?)。
さて、音ゲーマー諸君。(誰?)
立ち戻って考えてみるに、「音ゲーのセンスがある」と言う時、または「音ゲーのセンスがない」と言う時、その言葉には辞書的な意味以上の意味が含まれているように思いませんか?
そのまま辞書的な意味を当てはめるなら、「音ゲーにおける微妙な部分を感じ取る力がある/ない」ということになりますが、これではあまりにも何を言っているか分からないし「微妙な部分」に全てを預け過ぎていますね。
となれば、「微妙な部分」に含まれるニュアンス(意味:微妙な部分)を紐解いていく必要がありそうです。
では、ここで言う「音ゲーにおける微妙な部分」とは。
思いつく順に挙げていくなら、正しい判定、視点の動き、楽曲の細かな音、筋肉の制御、……などでしょうか。
「音ゲーをプレーする」という行為自体、嗅覚と味覚以外の五感のそれぞれを複雑に組み合わせて、機械の決めたタイミングで体を動かして望まれた入力をするという、言葉に起こしてみればまぁまぁ高度なことをやっているわけです。実際にゲーセンで見る限りはお金を払って馬鹿みたいにプラスチックを叩いているだけですが。
「目と耳で入ってきた情報を頼りに身体を動かして機械を操作する」というのを、フレーム単位で正確にやらなければならないとなれば、当然「微妙な部分」を感じ取る能力の多寡は実力に大いに関係してきそうです。
ところが、僕が思うには、音ゲーマー一般に言われている「音ゲーのセンスがある」というのは、上記のような「微妙な部分への理解が深い」という意味だけを指していません。
多くの音ゲーマーが「センス」という言葉を持ち出す時、そこに含蓄されている意図は「より少ないプレー回数・プレー期間で著しく実力を伸ばせる能力」がかなり大きいということは、経験的にも明らかです。
実際のところ、「センスがあるプレイヤー」として話題に上るような音ゲープレイヤーのほとんどは、より少ない(少なく見える)努力量で大成した人物だろうと思いますし、僕が思い浮かべるのも総じてそういう人物になります。
まぁ、自分がそのゲームに何クレジット入れているのかはデータに克明に残りますし、それに比して実力の伸びがイマイチであるとかが気にかかるのは無理からぬ話ですよね。多くの人がそれを気にしているからこそそういう意味として浸透するわけだし。
しかし、これは音ゲーに限った話ではなく、上手・下手という概念を有している事柄のほとんどについて、そういった意味合いの「センス」という言われ方はしている気もします。
そういうわけなので、この後は音ゲー特有の話をなるべくしていきたいと思います。
「センスがある人」と「ない人」との差
そんなん分かったら苦労しねーよ、という話ですが、「センスがある人」たちは何故センスがあると言われているのでしょうか。
おそらく、センスがあると言われる人々は、1クレジットひいては1プレーごとに汲み取る情報の量が非常に多いのではないかと思います。
音ゲーには「1曲分」という分かりやすい単位があり、基本的に1曲ごとに数値による評価が返ってきます。それを大体3〜4曲分あつめると「1クレジット分」という単位になります。つまり、我々は100円(ないしは120円)を払うごとに、ものの十数分の間に3〜4回ものフィードバックを受け取っているわけです。
このように、殊に音ゲーは自分の行動に対するフィードバックが即座にやってくるため、1曲分:約2分間でより多くの「次に活かせる情報」を得られる人ほど成長も早くなる、ということだと考えられます。
ハイスピや判定に違和感はないか?
リズムが掴めなかったところはどこか?
画面のどこを見ている時に出来ているか?
指が動かなかった原因はなにか?
さっき叩けなかったのに今叩けたのはなぜか?
そういったプレーの中から得られる情報を(おそらくはほぼ無意識に)1回ごとに数多く得て、次のプレーに向けて軌道修正するということをやっているように思います。それが「微妙な部分に気付くことが出来る」という意味の指すところであり、センスが無いと嘆く人が水を開けられる理由でもあるのではないでしょうか。
であるのではないでしょうか…………?(自信ナシ)
(どうして急に自信が無くなってションボリしているかというと、少なくとも自分は自分自身をセンスが無い側の人間だと思っているので、自分が「意識的に」1つ2つと考えていることをセンスがある人は「無意識的に」膨大に考えている、という結論で果たして良いのか……?そんなわけあるのか……?と悩ましくなってしまった次第です。。)
おわりに
そんなわけで、逃げるような「おわりに」ですが、センスが無いなりに日々頑張っている自分が音ゲーのセンスについて考えてみました、というお話でした。
もともとの持論として、センスとは知識と経験に裏付けされた無意識であるという風に考えていたため、それに肉付けをするような形で上記のような結論を出しました。
努力で越えられない壁を感じた時、センスというものを再考するきっかけとしてこの文章が役に立つことがあればこれ幸いです。