フィクションで流した涙はノンフィクション
悲恋モノのフィクションは好きだ。
結ばれない、完成しないからこそ、心に爪痕を残す、そんな美学がある気がする。
不倫モノの創作物を書くことに、フィクションで罪を犯すことに、なんの不安も覚えなかった。
(ただし、未成年の飲酒表現は地雷。)
大学でいちばん仲の良かった友達が、会社の上司と不倫をしていた。
たぶん、よくあることなのだろう。
でも、鼻の奥がツーンとするほど殴られたように、何も言うことができなかった。
肯定も、否定すら。
不倫をテーマにした創作小説を書いているわたしが、否定をしてもなんの深みもないし、諸手を挙げて肯定できる話でもない。
ただ、好きな友達には、絵に描いたような幸せの中にいる、と信じさせて欲しい。
フィクションで流した涙はノンフィクションだが、ノンフィクションで流した涙はフィクションになんてならないのだから。
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