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仏教とビジネス・エシックス:三方よしと陰徳善事

さて、仏教はビジネス・エシックスとどのように関係しているのであろうか。仏教の信仰を大切にしつつビジネスを行っていた人々が日本にはいる。それが近江商人と呼ばれる人々である。近江とは現在の滋賀県のあたりであり、近江商人はこの地域に本宅、本店を置き、他国に行商をしていた (青木, 2016)。近江商人の歴史は古く鎌倉時代までさかのぼることができ、江戸・明治・大正時代に主に活動していたと言われている (末永, 2014)。そして、現代でも近江商人が起業をした企業が存在しており、例えば伊藤忠商事丸紅は近江商人である伊藤忠兵衛が創業者であるほか、中小企業でも京都においてきもの卸売業を営むツカキグループは、近江商人の塚本喜左衛門 にそのルーツがある (青木, 2016; 竇 & 河口, 2016)。

近江商人とはどのような人々であったのだろうか。まず、近江商人の商業活動の特徴としては、近江本国から全国各地に出向く往路で生活必需品を中心とする持ち下り荷を販売し、復路で地方特産物を仕入れるという方法や、乗合い商い(組合商い)による多店舗展開などがあげられる。そして、近江商人の中には合理的な会計帳簿を作成する商家も現れたという (有馬, 2010)。また、広域の商圏を舞台にして薄利多売を旨とし、多種の商品を取り扱ってリスク分散をしていたと言われている (青木, 2016)。さらに、近江商人の特徴として辻井 (2016) は、1. 正直で誠実、2. 商売一途に生き、職業の遂行に使命感を抱いていた、そして3. 消費において厳しい倹約を励行していた、という三つの特徴を指摘している。とりわけ、三つめの特徴である厳しい倹約を励行していた点は、「しまつしてきばる」という行動規範になっていたという。ここでいう「しまつする」とは、方言で「節約」を意味する言葉であり、「きばる」は「働く」や「精を出す」という意味の言葉である (小倉, 1988)。すなわち、近江商人の行動規範として、倹約することと一生懸命に働くことが掲げられていたのである。

また、近江商人は仏教、とりわけ浄土真宗を信仰するものが多かったと言われている。伊藤忠及び丸紅の創業者である初代伊藤忠兵衛は、「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの 」を座右の銘にしており、ここからも仏教的思想がその行動規範に大きな影響を与えていたことがうかがえる。

一方、商売によって富を得ることは仏教において私利私欲に結びつき、それは煩悩なのではないか、と考えられるかもしれない。しかし、近江商人は「自利-利他」の教えにより、商業上の利益を宗教上の「ご利益」で正当化したという (辻井, 2016)。「商業は生産せる物品を受給者に供給するによる。他を利するのは心行のみ。他を利するの心行によりて自ら利するの功徳を受く。是を自利利他円満の功徳と云う。利他心は即ち菩薩心より。菩薩心を発して一切衆生を済度する。是を菩薩行という。故に菩薩行は即ち商業なり。凡そその秘訣は菩薩行に依て信用を得るに在り (伊藤忠兵衛翁回想録編集事務局, 1974)」と言われており、商業活動を仏教の修行に位置づけ、自らの利益だけでなく他者の利益も考慮することで、商売が決して仏教の考えと相反しないことを示したのである。

この、「自利-利他」という考えは、近江商人の「三方よし」という考えに反映されている。三方よしとは、売り手によし、買い手によし、世間によしという、近江商人の理念を示したものであり、ここでの売り手とは卸商、すなわち近江商人自身を、買い手とは小売商を、そして世間とは近江商人が商業活動を行う商圏を意味している (宇佐美, 2015)。近江商人にとって自らの利益のみになる商業活動は私利私欲に結びつくためによくないことである。むしろ、自分の利益は他者の利益に依存しており、他者さらには広く世間にもよいものでなくてはいけないのである。

さらに、小倉 (1988) は近江商人の経営理念の出発点が「天下の有無相通づるが識分、利は余沢」という考え方であり、その終局が「陰徳」であるという。それゆえ、「社会奉仕」が重要な役割として近江商人に課せられるのである。まさに、世間によし、の根拠と言えるかもしれない。陰徳とは人知れず行う善行であり、善行は功利的な考えでもってなされてはならないのである。もし善行が功利的な理由によってなされるのであれば、それは煩悩からくる行いであり、仏教の善とは相反することだろう。それゆえ、仏教を信仰する近江商人にとっては「陰徳善事」もまた重要な信条となったのである (有馬, 2010)。

References

青木崇 (2016) 「近江商人の経営哲学から見た企業の社会的責任活動と経営行動に関する一考察 : 伊藤忠商事の事例を中心として」『現代社会研究』14, 65-74.
有馬敏則 (2010) 「「三方よし」と「陰徳善事」」『彦根論叢』386, 118-130.
伊藤忠兵衛翁回想録編集事務局 (1974)『伊藤忠兵衛翁回顧録』伊藤忠商事.
宇佐美英機 (2015) 「近江商人研究と「三方よし」論」『滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要』48, 31-45.
小倉榮一郎 (1988)『近江商人の経営』サンブライト出版.
末永國紀 (2014) 「近江商人, または江州商人出現の社会的背景」『三田商学研究』56(6), 23-31.
辻井清 (2016) 「近江商人の経済倫理と信仰の意義 : 松居遊見と浄土真宗僧香樹院徳龍との関係を主にして」『佛教経済研究』 45, 127-152.
竇少杰・河口充. (2016)「「三方よし」理念と事業承継 : ツカキグループの150年」『立命館経営学』 55(3), 129-151.

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